2020年3月15日

1747.カーブのため逆を向く旧式!と昭和元年表記のある足立線のおまけ!

じんわりと新型コロナウイルスが猛威を振るおうとしていた2020年3月15日、この日は東武スカイツリーラインの谷塚駅周辺での撮影で済ませた。

なお、撮影については、一部は東京都足立区でも行う。
そこでは電柱撮影の他、足立線という元内輪線の66kV(6万6千ボルト)の昭和元年表記のある歴史的送電塔の撮影を行った。
(※送電線でいう内輪線とは、むかしむかしの水主火従時代、水力発電が主流だった大正末期~昭和中期、水力の渇水に備えて、各水力発電所から来ている154kV系統を連系し合えるような送電線をいう。道路で例を上げれば、中央環状線のようなものだ。内輪線については、それよりももっと広範囲に続いておったがのう。)

その他、谷塚駅周辺では、変わったタイプの電柱撮影となった。w

ということでまずは、谷塚駅から歩き、足立区北部の撮影から

ここでは



カーブを振りやすくするために、あえて建物側に高圧用腕金を向かせて、カーブを振りやすくした旧式を発見した!



おまけに補強の観点から、引き通しのクランプがいし、高圧用腕金共々、2つずつ取り付けた抱腕金仕様となっていた。



さて、年式の確認と行くか!



年式については、1983年(昭和58年)のようだった。


反対側はこんな感じだ!

高圧配電線のみ建物側を向かせている中、柱上変圧器については、道路側配置のため、それに対して大きく逆を向いた形となっている。


なお、やはりこうしたがいし2連の普及時期については、昭和55年前後の年代が相当するようである。


おまけ


さっきの手前には、このような旧式も!
というのは


200Vの三相動力線で3本の電線中、2本の電線を支持している錆ついた腕金のことである。
この腕金は恐らく、昔は高圧用腕金としてよく使っていたであろう長さ1500mmのものであろう。



追加で!昭和元年表記の送電塔が今もなお残り続ける、歴史ある足立線(元内輪線)の送電塔のおまけを!


歴史ある送電塔といっても、その名残については、既に今は下の方しか残っていないが・・・

上部については、頂上に架空地線支持の三角帽子のある近代的構成となっている!
むかしむかしの送電塔は、この三角帽子はなかった。

なお、送電線のストリートジャンプを防ぐために、各ある送電線の位置をずらしたオフセットが主流であったが、今の送電塔はご覧の通り!
背の高いマンションなどが増えたためか、オフセットは特に気にせず、まっすぐに上部から整列している。
(ストリートジャンプとは:雪が送電線に積もって、その積雪が限界に達して送電線から落雪すると、その衝撃で送電線は大きく跳ね上がり、他の送電線と接触してショートすることがある。これを防ぐため送電線は、上から1本ずつ張られている送電線の位置をずらすのである。ところが最近の都会に現存する送電線では、ご覧の通り、見かけない。)

昭和1年12月建設であるという証拠はこちらに!
多分このプレートが現存するのも、既にこちらの17号のみかと・・・

つい最近までは、花畑変電所付近にもその手の送電塔が現存していたが、あちらの方は、TX(つくばエクスプレス)の六町駅周辺が開発された影響で、全て背の高いスリム鉄塔に建て替えられている。

↑なお、恐らく昭和元年当時は、〇で記した辺りに送電線があったものかと思われる。

それが丁度この辺では、昭和55年頃から家が急速に増え始めたため、嵩上げされたようである。
その影響で、こちらの上部は近代的構成となった。
しかしあれだな~川崎の方にある大正15年建設の相武線(恐らくこれも内輪線の一部)については、今も当時の原型鉄塔が残りつつあるんだけどなぁ
でも、あれもつい最近建て替えられたか

次いで、東京都杉並区にある内輪線も、つい最近までは、他の内輪線では見慣れぬレアな矩形鉄塔も残り続けていたことだし!

これについては、地域ごとにかなりの差があるようだ。