左側の電柱のジャンパー線支持の碍子は現在の電柱では当たり前のように見られる中実碍子になっています。
しかし!
右側の電柱のジャンパー線支持の碍子がその貴重な耐塩皿碍子でした・・・(昭和の頃では海岸に近い塩害地区で当たり前のように見られたようですが今では見られないんですよ!)
左側を通っている低圧線はワイヤーからまるで電話線のように吊り下がっています。
また高圧線はジャンパー線内で分岐されていたり「昔の設備はこんな感じだったのかな?」と思いながらの電柱撮影でした。
ジャンパー線支持の碍子が耐塩皿碍子の電柱!
いいですね~碍子に耐塩皿!
左上の耐張碍子のクランプカバーは後から取り付けられたように見えます。
よって、以前まではクランプカバーがないタイプだったのだと思います。←(昭和の頃では{高圧線支持の碍子がピン碍子の時代の時?}黒いクランプカバーがないタイプの耐張碍子も見られたようです。)
塩害地区での撮影でやっぱり高圧線はかなり(こちらの電柱にはないですが・・・架空地線並みに)細いです。
細い高圧線支持の電柱は千葉県だけではなく神奈川県の塩害地区でも見られたのですね・・・
別の角度から・・・
さらに別の角度から・・・
さらに別の角度から・・・
ズームして耐塩皿碍子の製造日を見てみました。
さらにさらに別の角度から・・・
後々、よく眺めてみて思ったのですが最上部にある、3つの左側の耐張碍子のクランプカバーの形状がちょっと変わっています。
元は恐らく、左側の耐張碍子には黒いクランプカバーはなかったと思います。
どう見ても左側の3つの耐張碍子のクランプカバーは後から取り付けられたような気がします。
<ここからの写真は撮影失敗してしまったので再度2009年4月29日に行ってきて再撮影です。>
そういえば、昭和の日に昭和時代から残っている貴重な電柱を撮影でしたね!!w
最近新設された耐塩ピン碍子を支持している腕金の色と比べてみると高圧線の腕金の錆の色が凄いです。
↑写真中央の耐塩皿がいしの製造年は1967年(昭和42年)を示す。 |
1967年製でした。なので腕金も1967年からずっと取り付けられているのではないのでしょうか・・・
なので凄い腕金の錆の色なのですねぇ・・・
さらにさらに別の角度から・・・
耐塩皿碍子の中に入っている碍子は耐塩ピン碍子のようです。
地元のまだ現役の耐塩皿碍子の中にはピン碍子が入っていましたが・・・
やっぱりこれも地域によって違うのですね・・・
真下からも撮影してみました。変圧器は一度交換されたようです。
最後に・・・最初この電柱が発見できたのは父と釣りに出かける際に高速道を通っている時に偶然見えて!後日にこの通り撮影に行ってきたのですが・・・この電柱のすぐ後ろには海があり、何かいい雰囲気で塩害地区で古そうな電柱に会うことができました・・・
でもホント40年以上も前からある碍子と腕金がそのまま偶然残っていて2009年に見えたのは大変珍しいですし、大変貴重ですね・・・
それと、あの色をしている電柱、腕金などは大体40年以上経っているということがわかりました。
<ジャンパー線支持の碍子が耐塩皿碍子の次に貴重そうな電柱!>
413.ジャンパー線支持の碍子が耐塩ピン碍子の電柱!