2022年12月10日

3385.雨覆い付き旧式ケーブルヘッドが、配電幹線として現役のもの!うち1本は、ケーブルヘッドが新旧並ぶ。

 

ここでは新旧の比較もできる。

ここではなんと!



雨覆い付きケーブルヘッドが!




今もなお!配電幹線用として使われているのが確認できた。

幹線用であるから、CVケーブルは太めだった。







年式はこのほうで



1973年(昭和48年)であるのを確認!

正しくその当時物に思える。




おまけ投稿:駒沢線18号鉄塔

 


このエリアにも20177年頃までは、戦前の送電塔が建ち並んでいたらしいが、建て替えられていた。

なお、同鉄塔は平町変電所(配電用変電所)構内にあり、変電所についても設備更新をされたようであり、真新しかった。

それから外側を囲むものが鉄筋コンクリートの塀から金網になってからは、入口の看板は外したようだ。

3384.短絡事故電流通過表示器が古いもの その2

 




奥にももう1本あった。

唯こちらは先ほどとは変わって、腕金を伸ばしてがいし型変流器がある構成となっている。

3383.短絡事故電流通過表示器が古いもの その1

 



初期の頃は、単純にオレンジ色に点灯するだけのものが普及か?

なお、上部通過の送電線は、駒沢線

建て替え前の名残が残っているのか、配電柱の高さは低かった。



表示器の拡大↑

3382.短い架空地線キャップで引き留めあう。

 




ここは中でもCVTケーブルとなった高圧配電線の上部に架空地線があるから、そういった意味合いでも珍しい。



↑それはマンションの引き込み用であろう。

以前は普通の絶縁電線だったのかもしれない。

いや、CVTケーブルのちょう架吊方式が古いから、元々こうか












3381.架空地線支持の腕金がやたらと短いもの

 




まぁこの先では、これがあるから別に不思議ではないかw


3380.その分岐先では、腕金を伸ばして高圧引き込み線を引き留め

 





ケーブルヘッドは雨覆い付き仕様

しかしそのポールは、細さ的には小さな低圧引き込み線の引き留め用に思えるが、どうだろうか?

3379.交差側のFアームは、架空地線支持の1本腕金を上に継ぎ足す。



 




3378.高圧引き込み開閉器を取り付けたクランプがいしの引き通しだが、それがやや不均等配置




 


それがやや不均等に並んでいることによって、やや違和感あるようにも見える。

3377.古い鳥居型を付けた両引き留めの開閉器装柱だが、片方は中実高圧耐張がいし!

 


中実高圧耐張がいしの新設は、いつの間にか見かけなくなった。

それは、値段的には普通の高圧耐張がいしを2連結にした方が少し安上りだからである。

おまけ投稿:千鳥線1号甲、乙~4号鉄塔

 





1号は左側に見える送電線を引き上げているもので



2号鉄塔はこれだ。

部材の少なさから、これは大正15年(1926年)の当時物に思える。



引き出された直後では、東急池上線の上部へ送電線を振り分けるため、2連の門型鉄塔

建設時期は、大正15年12月

内輪線の年代である。


この先は以前撮ったので、省略~





ここでは戦前の送電塔の裏手に、武蔵小杉の高層マンション群か

時代にそぐわぬ

3376.高圧引き込み開閉器が本線のDアームとやや干渉気味


 

3375.架空地線の引き留めに青色の低圧引き留めがいし・ねじれストラップ・半分廃止

 




3374.離隔腕金だが、架空地線だけは引き続きキャップで支持

 


おまけ投稿:矩形鉄塔でない区間の安方線を起点まで追う。

 


安方線というと、大正15年(1926年)建設の矩形鉄塔のイメージの方が大いにあるが、中には普通の四角鉄塔としているところもある。


その箇所では、V吊となったもので、旧式のスモッグがいしが確認できた。

これが安方線15号鉄塔で、下相のみ耐張としていた。


基礎は戦前っぽいようにも思えたが、どうだろうか

ここはプレートは見えなかった。


これが同14号

続いて同13号だが



ここは過去に変電所でもあったのだろうか、片側の腕金が突き出ていた。


プレートの文字は、昭和43年(1968年)だろうか?よく見えず。

一度建て替えたか、増やしたようにも思える。

ここは全部スモッグがいし


これが同12号だった。


ここでは第二京浜を超えるもので


同5号と4号


5号の看板


同3号

ここは東急多摩川線の線路横にあり、基礎は戦前っぽうような感じもするがどうだろうか?

プレートは確認できなかった。



2号は線路上部にあるもので、2連の門型鉄塔となっていた。



2号の看板




上部の拡大


そして1号






2号のプレートの文字は、昭和33年(1958年)12月と見える。
戦後に建て替えた箇所もあったのだろう。





1号の看板







最後に、環八通りの歩道橋から