最後の鉄柱はこちら。
大分奥の住宅街へ行ったところに残っていた。
種類としては、これは開閉器装柱。
年式は、1956年の模様
西暦で下二桁の56が見える。
まさか昭和56年なはずがない!
その頃にはもうコン柱でしょう。
なお、こちらの鉄柱については、割と最近防錆塗装を施したようで、錆びは全く見られなかった。
数は少ないが、中にはあの送電塔のごとく、防錆塗装を施して、今後も長持ちさせようとしたものもあったように見られた。
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最後の鉄柱はこちら。
大分奥の住宅街へ行ったところに残っていた。
種類としては、これは開閉器装柱。
年式は、1956年の模様
西暦で下二桁の56が見える。
まさか昭和56年なはずがない!
その頃にはもうコン柱でしょう。
なお、こちらの鉄柱については、割と最近防錆塗装を施したようで、錆びは全く見られなかった。
数は少ないが、中にはあの送電塔のごとく、防錆塗装を施して、今後も長持ちさせようとしたものもあったように見られた。
さぁ、鉄柱の撮影もそろそろ終盤だ。
後2箇所程撮って、おしまいとなった。
こちらはその内の1箇所目
今度はより海に近い和田岬駅付近。
地下鉄の方が便が多いから、それに乗って移動してきた。
海に近いこともあるのか、錆びが物凄い!
2本連続で並んでいた。
とりあえず、1本目は普通の基本形
高圧用腕金だけは、真新しい。 |
割と交通量が多そうな繁華街では、車などが夜ぶつかぬよう、大きく目立つように黄黒のペイントをしていたようだ。
基礎もコンクリートも、やや上へ突き出している。
年式は昭和33年
やや古め
1958年かO_oi
白の低圧引き留めがいしで固定されているこれは、接地線か?
地中へ通っているのが見えたから、そうだと思うが、接地の場合は、白の低圧引き留めがいしではなく、青色を使用するはずでは?
こちらはアーケードがなくなって、よ~く見えるように!
庄田町4丁目地区。
高圧用腕金については、手前にある逆三角配列以外については、いずれとも抱腕金!
ちなみにここを右へ曲がったところにも!後3本の鉄柱が残っていたらしいが、2022年に見たときには、柱ごと設備更新されており、なくなっていた。
1本は残っている!
それは次の投稿で!・・・
と思ったが、1つレアものがあったので、その掲載を終えてからだ。w
こちらはそのうちの1基目、高圧配電線の形を逆三角配列にしたもので現存確認!
とりあえずこちらは、大きく2丁目の看板が見えるから、六間道商店街の庄田町2丁目付近となるようだ。
こちらは西暦表記で1960年であるのを確認した。
昭和35年か
アーケードも大体その時期に建設されたのだろうか?
なお、同商店街については、以前はこのエリアにもアーケードがあったらしいが、老朽化に伴う影響だろうか、アーケードは一部なくなっていた。
見た感じ、庄田町3丁目で取り外したようだ。
丁度この写真の辺りである。
それがなくなった箇所については、既にアーケードを取り外す段階で、新たな配電線路を施設する準備されているのがストリートビューでも見れた。w
道理で真新しい配電柱が並んでいるわけだ。
↑一応左奥については、耐塩高圧ピンがいしの配置は、2:1配置も対応できそうな腕金の固定位置となっている。 |
遠くからはこんな感じ!
庄田町2丁目商店街の先については、見た感じその方の支持物は鉄柱ではなく鉄筋コンクリート柱で、高圧の配列は変わらず逆三角配列で続いておった。
ちなみに鉄筋コンクリート柱は、地方では(東電管内では見慣れない)複合柱もあるようだ。 右手前のものだが、ボルトで大きく固定されているのが見える。 中部電力でも過去に確認済み。静岡の清水の方で見た覚えあり。w |
そして!こちらを振り返ると!
もう1本あった!
それは次の投稿で!!
こちらのアーケード沿いでは、1本のみの発見!
ちなみに以前は、これより手前側にも1基、配電線の鉄柱(種類はやり出しの開閉器装柱)が残っていたらしいが、そちらについては柱ごと設備更新されていた。
2020年まで現存していたらしい。基礎まで綺麗にはがされていた。
上部にある耐塩高圧ピンがいしの間隔は、狭し!
下段で交差分岐している両引き留め装柱の方も、バリバリ耐塩系の高圧がいしを使用している。
基礎の鉄筋コンクリートブロックは、ここではやや高めに!
この辺を前後するものが多い。
おまけ
アーケード内部
今度は!
年式は昭和37年
高度経済成長期でも、神戸では所々で鉄柱を積極採用していたように思えた。
東京都内だと、この時代はコン柱だなぁ
ちなみにこちらの高圧がいしも、既にコレクションとして所有w
なんかどっかで売ってたのを買った記憶がある。
また、開閉器は自動式のようで、小型の変圧器も複数あり。
上部の錆びの色は、正しく昭和37年の当時物かと
送電塔なら、変圧器などの複雑なパーツは付いていないから、防錆塗装は楽そうに思えるが、変圧器などの複雑なパーツが付く配電柱では、そう簡単には行えなかったようだ。