一番奥の高圧耐張がいしであるが
珍しくここでは、ストラップにストラップが継ぎ足されているのが確認できた。
それから上段のトンボ腕金にある、変圧器への高圧引き下げ線を支持している高圧ピンがいしだが、1つは内側向きだった。
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普通の変圧器の引き下げ方といえばこれだが(いや、これももう古い。)
ここでは筒形の耐塩高圧引き下げ線支持がいしを使用したものが見つかった。
高圧カットアウトの固定位置もまた、変台に直接付くものである。
横から見ると、高圧引き下げ線がくろすしているかのように見えるが、実際はそのまま素通し。
製造年はドコモ1973年(昭和48年)
この時代に一時期大量生産されていたのだろう。
近年では減りゆく傾向にある、高圧配電線の終端に取り付けられる避雷器についてだが(東電管内)
ここでは珍しく!
そこまでのリード線支持用として、贅沢にも10号中実がいしが2つ確認できた。
当初はこういったものもあったのだろうか?
年式は、1979年だった。
架空地線は撤去済み。
撮影地は国道4号沿い。日光街道か
日本橋から66.1キロポスト付近
連絡用開閉器を取り付けた開閉器装柱であるが、こちらの鳥居型は一風変わった形をしておった。
特に普通の鳥居型や鳥居型ならずというわけではなく、短い腕金が上部にあって、相互にある腕金が固定されているようだった。
これはまるで中部電力の鳥居型にも見えた。
連絡用開閉器の看板はまた古そうだ。
年式は1967年か
この鳥居型は、当初は栃木限定の鳥居型として普及か
ここでは!
最近ではほとんど見かけなくなった型の大容量変圧器を発見!
唯それはちょっと横浜で見たものとは、少し型がまた違うようだ。
容量は75kVA
この型に関しては、昭和40年代後半から50年代が繁盛記だった。w
今では30kVAを超えても放熱板の数が少ないものが増えた。
反対側~
ところで、撮影時は全く気が付かなかったのだが、奥の引き留め柱、上段回線は高圧耐張がいしが多いぞ。
また正面w
内陸部程残ってる感じだろうか
昔普及した大容量トランスは、ブッシングのサイドに赤く円いのがあるのが基本だった。 |
横浜で見たものは、結構海寄りの地域なのに今まで残っていたのは凄かった。
しかし今や、内陸部で残っているものに関しても既にこの型は絶滅傾向かと思われる。