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2021年1月9日

1952.Fアームで4方向の架空地線を振り分ける。

 




近年では、架空地線は廃止傾向にあるから



Fアームで4方向の架空地線を振り分けるという光景も結構珍しいかと思う。

2020年12月29日

1934.川の横断箇所のアングル

これはどちらかといえば旧式の分類に入りそうだが、最近では川を横断する配電線は見ることが大分減っているので、珍しいものとして掲載しよう。






付近には普通に橋もかかっていて、そこに配電線を通せそうだが


方角的に見ると、橋を横断しない方が設備費用を少なくできるから、ここでは珍しく、配電線を川へ横断させたようである。



なお、高圧の支持点についてはこの通り

ここは腕金ならぬアングルである。

そういえば、高圧耐張がいしも川の横断箇所だとなれば、特殊耐張がいしや送電で使われる懸垂がいしの使用もある。

思い返せば丁度このブログの開設時に、その手のものをアップした覚えがある。

それから強度を付けるため、背後にはたくさん支線が張られている。








奥の方には長い鳥居型も!↑
ちなみにこの山を上がって左側に、2ページ前で紹介の3つの6号中実がいしを取り付けたものがある。


長いスパンの場合は、腕金の使用よりも角型の鋼材の方がいいのかもしれない。



おまけ

ちなみにこの配電線の起点は、あの歴史ある八ツ沢発電所兼変電所(配電用変電所としても機能)のようである。





その発電所付近には、珍しい構成のものがあるので、こちらもお忘れなく~↑
こちらは本線、それから下段の分岐先含めて、全てクランプがいし2連による引き通しとなっている。


起点の八ツ沢発電所兼、その隣に変電所




これは送電のお題となるが、八ツ沢線(送電線)はここを起点としている。

こちらの年式は昭和32年(1957年)2月
引き通し箇所の原型は古いよ~^^



さらに追加でおまけ

こちらはJR中央線の下にあるトンネルだったと思ったが





やはりこういうレンガ構造のトンネルは古いのだろうか




しかし反対側はどうやら途中で増設したようで、1967年12月との刻印が見える。


2020年11月28日

1902.驚きの4回線同時併架!

 電力会社の配電線では、水平配列で高圧を支持する場合は、低圧配電線などがある関係で高圧の併架は、普通最高で3回線が限界だが(中国電力は例外)、ここでは工場の構内用配電線で、合計4回線の高圧を併架したものを発見!!

まずこちらは、送電線が施設されているぐらいがから、結構な大口需要家のように見られた。
4回線は自前の変電所より起点となっており、起点は門型電柱だった。
その先で単一の電柱で4回線同時併架の珍しいものを発見!

ご覧の通り、こちらは4回線!

なお、架空地線支持はキャップとなっており、4回線の引き通しは高圧ピンがいしが使われていた。

ちなみにこちらは少し補強するための意味合いか、高圧ピンがいしと高圧用腕金は2本ずつ並んでいるがいし2連(抱腕金)となっていた。

まぁこれがもし近代の設備だとしたら、CVTケーブルになるでしょうな




なお、4回線はそう長くは続かず、この門型電柱で3回線と振り分けられる。

そこから左を見ると鳥居型を取り付けた振り分け引き留めがあった。

高圧耐張がいしにはカバーがなくジャンパー線支持も高圧ピンがいしになっていることから、この構内線は古そうだ。


ちなみに中にはつい最近CVTケーブルに更新されている箇所もあった。


この辺がそれだ。

以前は複数回線を水平配列で併架したものがあったようだ。

こちらは以前は、高圧ピンがいし2連の引き通しだったのだろう。
ここも以前は高圧ピンがいしを2:1に配置して構内用高圧配電線の引き通しをしていたようだが、今はその腕金を使って、CVTケーブルを吊架(ちょうか)している。
架空地線については残り続けたようだ。


さらに奥はこんな感じ。


終端もかつては高圧耐張がいしで引き留めていた面影あり。

(いや、向き的に見るとこっちが電源側か?)

ここでは鳥居型も残っていた。その鳥居型は見ためから昭和40年代のような気がする。


2020年11月21日

臨時投稿:レアな遮蔽線

 送電線の下に施設された遮蔽線については、中部電力管内でも古いタイプとなっているようで、ほとんど見かけることがない。

これについてはどちらかといえば古いタイプとなるので(今後ホームページの方で掲載予定でいるので)、臨時投稿として投稿しておこう。


(と思ったが、こちらで公開する方が容量がほぼ無限大なので、ちょっと多めに掲載しちゃおう。w)

ここではこの先の道路沿いにて!


送電線の下を通過する配電線の上部に施設された3条の遮蔽線を発見!

この感じだと、以前はスケルトン仕様の気中開閉器はなかった感じだな
高圧用腕金にはかつてジャンパー線を支持していたであろう
3つの10号中実がいしが残っている。

ちなみにこちらは、東海道新幹線から唯一見える遮蔽線である。

(のぞみだと早すぎて見えないかも・・・確か豊橋に行く途中、ひかりから見たような覚えがある。ほんの一瞬であるが、東京方面からだと右側2列の窓側の座席から見ることができる。w)

さて、中部電力の遮蔽線だが、こちらは東電とは違い、高圧耐張がいしや高圧ピンがいしなどでしっかりと絶縁されているのが確認できた!
(まぁでも稀に東電管内でも耐張がいしなどで絶縁されている遮蔽線は見たことがある。しかし大半はストラップのみの引き留めが多い。)

続いて年式についてだが、それは大分地面に近い位置に書かれているようだった。

電柱番号札は見ても建柱年の記載はないので、やはりこちらの鉄筋コンクリート柱の銘板を確認する。↓

確認してみたところ1970年とあった。(ちょっと隠れ気味だが上端に書かれている。)

昭和45年か、やはり遮蔽線は古いものというわけだな

電柱番号札はこの通り


上を見上げるとこんな感じ!


さて、もう一方についてだが!

こちらは腕金とがいし類は一度更新されているようだ。


なお、ここでは上部通過の送電線もレトロだった。


やはり架空地線支持の三角帽子がない送電塔は古いよな


この送電線路名は、高塚舞阪線というようだ。

年式は昭和40年とあった。

1965年か、遮蔽線より5年古い感じである。




こうして、浜松での撮影はとりあえず今回はこれで終了となった。

まだ繁華街の方で撮影したいものがあるが、今回は諦めよう。