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2020年6月20日

1773.Fアーム通り その1


昭和55年頃に登場したFアーム(2代目)も、今や離隔腕金に次々と更新されており、東京都内では見つけることすら困難となっているが

山梨はどうやら、内陸部であまり塩害などの影響を受けないからか、まだ大多数残っているのを確認した。

こちらも一部は離隔腕金に更新されている箇所もあるが、ここでは道の両側に、低圧が支持できるものとそうでないタイプのFアームが残っている。

しかしこれは序の口w

まだ奥の方では、大多数のFアームが現存しているのを確認したのだった。

その前に、次のFアームで珍しいものが見つかったから、それはまた次のページで紹介しよう。


2020年3月15日

1750.元鳥居型ならず?鳥居型の腕金の間に小さな棒あり


ここでは、架空地線の支持に腕金を使った旧式が立ち並んでいるが!



この中で特に気になったのが、奥の方にある鳥居型である!






この感じだと

通常の鳥居型では、黄色〇で囲った位置に、小さな棒は固定されない。

元は鳥居型ならずであったかのような感じがする。
鳥居型の間に小さな棒みたいなもので固定されているのが見える。


ここでは高圧のすぐ下にある三相動力線(3本中2本を支持した)200V支持の腕金も
2つずつ固定した抱腕金だった。低圧ピンがいしは2連!



反対側はこんな感じである。



鳥居型の頂上にある水平に固定された腕金が真新しい。

頂上に横にしてある腕金だが、少し真新しいのが見て取れることから、これは元鳥居型だったのかと思われる。



年式については

電柱番号札、コン柱の製造年共々、確認することはできなかった。

こちらの写真は、2011年9月12日、東京都杉並区で撮影

最後に!鳥居型ならずというのは、こういうものである。



鳥居型ならずの腕金については、腕金間に小さな棒があるのが特徴である。

それで先ほどのものは、元鳥居型ならずに見えたのであった。


1748.架空地線ごと張り出して交差点! その1

こちらの撮影は、谷塚駅付近となった。


うーん、これもどちらかといえば、旧式の分類に入るのだが、珍しい点もあるので、ここでも掲載しよう!

というのは!

上の方を通る太い3本の高圧配電線に合わせて、架空地線が張り出しているタイプだ!
埼玉県の草加市や越谷市では、架空地線キャップに腕金を取り付けて、雷からの遮蔽範囲を広げたものが目立つ。(←東京23区では、架空地線キャップに腕金は取り付けない。唯、その手のものは、腕金仕様なら稀にある。墨田区や江戸川区などの一部地域で確認している。)
なお、その手の年式については、やはり昭和55年前後といったところだった。

ちなみに少し前までは、国道4号バイパス沿いでも、東京都から埼玉県内に入った直後から、架空地線キャップに腕金を取り付けた構成が多数確認できたのを覚えているが、同バイパス沿いのものについては、東京側から見ると、独協大学通りまで、しっかりと無電柱化されてしまったので、現状は奥の方まで行かないと確認できなくなっている。(2020年現在)
(※国道4号バイパスが東武スカイツリーラインを超える箇所は除く。あそこは陸橋があって、歩道が狭くなっており、共同溝が掘れないのか、それとも、電柱が倒れても問題がないためか、無電柱化されていないゾーンがある。wちなみにそこでもいくつか、架空地線キャップに腕金を取り付けた同様の構成を確認することができるが、陸橋を超えた途端、東京側も埼玉側も無電柱化ゾーンとなるので、そこは注意願いたい。)



さて、ここは丁度


↑その高圧配電線の交差点となっているので、架空地線の支持の構成については、やたらと変わった感じに見えたのであった。

アップでもう1枚(撮り過ぎw)






交差点でこの手の構成を見るのは少ない。



さて、年式の確認を!

電柱番号札の方には、建柱年の記載がなかったので、鉄筋コンクリート柱の製造年を確認し、年式を確認する。
それは1984年を示していた。
やはり昭和55年前後だな

1747.カーブのため逆を向く旧式!と昭和元年表記のある足立線のおまけ!

じんわりと新型コロナウイルスが猛威を振るおうとしていた2020年3月15日、この日は東武スカイツリーラインの谷塚駅周辺での撮影で済ませた。

なお、撮影については、一部は東京都足立区でも行う。
そこでは電柱撮影の他、足立線という元内輪線の66kV(6万6千ボルト)の昭和元年表記のある歴史的送電塔の撮影を行った。
(※送電線でいう内輪線とは、むかしむかしの水主火従時代、水力発電が主流だった大正末期~昭和中期、水力の渇水に備えて、各水力発電所から来ている154kV系統を連系し合えるような送電線をいう。道路で例を上げれば、中央環状線のようなものだ。内輪線については、それよりももっと広範囲に続いておったがのう。)

その他、谷塚駅周辺では、変わったタイプの電柱撮影となった。w

ということでまずは、谷塚駅から歩き、足立区北部の撮影から

ここでは



カーブを振りやすくするために、あえて建物側に高圧用腕金を向かせて、カーブを振りやすくした旧式を発見した!



おまけに補強の観点から、引き通しのクランプがいし、高圧用腕金共々、2つずつ取り付けた抱腕金仕様となっていた。



さて、年式の確認と行くか!



年式については、1983年(昭和58年)のようだった。


反対側はこんな感じだ!

高圧配電線のみ建物側を向かせている中、柱上変圧器については、道路側配置のため、それに対して大きく逆を向いた形となっている。


なお、やはりこうしたがいし2連の普及時期については、昭和55年前後の年代が相当するようである。


おまけ


さっきの手前には、このような旧式も!
というのは


200Vの三相動力線で3本の電線中、2本の電線を支持している錆ついた腕金のことである。
この腕金は恐らく、昔は高圧用腕金としてよく使っていたであろう長さ1500mmのものであろう。



追加で!昭和元年表記の送電塔が今もなお残り続ける、歴史ある足立線(元内輪線)の送電塔のおまけを!


歴史ある送電塔といっても、その名残については、既に今は下の方しか残っていないが・・・

上部については、頂上に架空地線支持の三角帽子のある近代的構成となっている!
むかしむかしの送電塔は、この三角帽子はなかった。

なお、送電線のストリートジャンプを防ぐために、各ある送電線の位置をずらしたオフセットが主流であったが、今の送電塔はご覧の通り!
背の高いマンションなどが増えたためか、オフセットは特に気にせず、まっすぐに上部から整列している。
(ストリートジャンプとは:雪が送電線に積もって、その積雪が限界に達して送電線から落雪すると、その衝撃で送電線は大きく跳ね上がり、他の送電線と接触してショートすることがある。これを防ぐため送電線は、上から1本ずつ張られている送電線の位置をずらすのである。ところが最近の都会に現存する送電線では、ご覧の通り、見かけない。)

昭和1年12月建設であるという証拠はこちらに!
多分このプレートが現存するのも、既にこちらの17号のみかと・・・

つい最近までは、花畑変電所付近にもその手の送電塔が現存していたが、あちらの方は、TX(つくばエクスプレス)の六町駅周辺が開発された影響で、全て背の高いスリム鉄塔に建て替えられている。

↑なお、恐らく昭和元年当時は、〇で記した辺りに送電線があったものかと思われる。

それが丁度この辺では、昭和55年頃から家が急速に増え始めたため、嵩上げされたようである。
その影響で、こちらの上部は近代的構成となった。
しかしあれだな~川崎の方にある大正15年建設の相武線(恐らくこれも内輪線の一部)については、今も当時の原型鉄塔が残りつつあるんだけどなぁ
でも、あれもつい最近建て替えられたか

次いで、東京都杉並区にある内輪線も、つい最近までは、他の内輪線では見慣れぬレアな矩形鉄塔も残り続けていたことだし!

これについては、地域ごとにかなりの差があるようだ。



2020年2月23日

1720.旧式の分岐手法か?




ここで気になったのは


低圧配電線のすぐ下にある腕金である。

旧式の低圧引き込み線の分岐用だったのだろうか、かつて、低圧引き込み線を分岐していたであろう分岐線が途中で断線しているのが見えた。



なお、次の方にも同じく!
やはり低圧配電線のすぐ下に、現状は使われていない腕金が残されている。