2018年3月24日

1287.H柱で開閉器付き


こちらはH柱で開閉器付きです!
(H柱とは、2本の配電柱を同時に建てたものを示す。木製電柱時代の大昔からある。これについては、川の横断や山の谷の横断区間を支える配電柱で、強度不足を考慮した箇所で採用されることが多い。なお、川幅が大きい場合は配電鉄塔が採用されることもある。)

あまり見ないので撮影しときました。w



おまけ


周囲はTDLにでも行ってきたかのごとく、ごつごつとした岩が凄いです!w
(それにしても山道はD型腕金装柱が多い。)



あんな崖の上に松の木があります。
(なんだかこういう光景を見ると、1980年代の映画「ベストキッド」に出てきた盆栽を思い出すなぁ~)






↑なんだかじいちゃんが大事にしていた盆栽を思い出すな~

1286.上段やり出し、下段中央固定


こちらは2回線ある中、各高圧用腕金の取り付け位置が珍しいです!



見てみると上段はやり出し配列で下段は中央配列となっています。


周囲を見ると手前には外灯があるので、どうやらそのために下段は中央配列にした可能性が高いです。

下段のジャンパー線支持のクランプがいしは、中央寄りのクランプがいしのみ、何気に限流ホーンあり。

東電の2回線の配電線は2回線とも高圧配電線の配列を揃えることが多いので、こうしたタイプは珍しいです。


1285.子局にACの文字!?交流電圧印加方式で自動開閉器を操作する旧式ものか!?

この日は歴史的送電鉄塔を撮りに群馬県安中市へ!
JR信越本線の横川駅からひたすら歩き、大正9年建設の歴史的送電鉄塔!!軽磯線を巡った!

これから紹介する写真はその道中に撮影したものである。w




それにしても山岳地帯の配電線は、昭和の終わり頃から平成のはじめ頃に施設されたものが多いようだ。
そんな中、ここではこんな旧式が眠っていた!(眠っていない。稼働中か)↓



↑既に開閉器の取り付け位置からしてちょっと違う。怪しいw



向きが逆である!
通常は指針がある方が配電柱側を向いている。
(もしくはその指針のある辺りに、それぞれ入り、切りの札を取り付けた引き紐も取り付けるが、ここにはそれも何故かない。)



その中でここで気になったのは子局であるが、それが現代では見かけぬACと大きく印字されたものが見つかったのだった!
(そういや最近の子局は、旧来のカップラーメン仕様の丸型から箱型に次々と変わってますね!)
このような型の子局は初見である!


それでえっと、建柱年は1990年!?
とりあえず、年式は平成初期頃なんだな
なお、柱上の開閉器については、黄色い札通り、特に常時開放ではなく、ところどころで区切りを入れたセクションになっているらしい。


なお、子局については・・・





他に黄色い文字でOCTと大きく書かれたものも左側に見つかったが、まずはACの方から見ていく。

ACと書かれたこの手の子局は初見。もしや激レア製品!?w


ACの方は下から見てみると


型番がまず時限式事故捜査器 (AC形)と書かれており、定格電源電圧と定格出力電圧にはそれぞれAC 100Vと書かれていた。
(それにしても、時限式事故捜査器ももう今では古いよな。確か事故区間の配電線を見つけながら健全区間の配電線まで再送し、最終的には事故区間は切り離すといった装置だったよな)



もしやこれは!?旧式の交流印可電圧方式で自動開閉器の開閉操作を行うものか!?
(それが今時では珍しい!w)



続いて、もう1つの見慣れぬOCTの方だが



こちらの方は普通に制御器のようであった。

それにしてもなぜ?2台もの子局が!?
(あまり開閉器装柱に関する知識は詳しくない。w)


おまけ


この日メインで撮影しに行った、歴史的送電鉄塔!大正9年(1920年!!)建設の軽磯線です!!

こちらも何かと歴史がありそうです。
(そういや群馬と長野にも一部、東電の古くからの66kV系統の送電線があんだよな
。)


それもここでは、軽磯線なる架空送電線が!普通に上信越自動車道の下を通過してます!!
これは極めて珍しい例です!!!

まぁ、高速の橋桁がかなり上の方に配置されたので、歴史的大正9年物の送電鉄塔は建て替えずにそのまま橋を通すことにしたのでしょう。




軽磯線の建設年番号札です。
建設年は大正9年(1920年)を示しています!!
かなり古い戦前の送電鉄塔です!