2021年4月10日

2157.やや不均等で柱上トランス

 






今回の撮影は、これで終了となった。



と思ったが・・・

保谷駅から電車を乗り継ぎ




中村橋駅で下車





最後は電線絵画展へ~w

結構人が大勢いた。w

この企画展は、練馬区立美術館で、2021年2月28日~4月18日までの短期間で開催されていた


2156.かなりの不均等

 



通常ならば、柱側の1つのクランプがいしはもうちょい柱へ寄った箇所に取り付けるだろうが


ここは古いコン柱から新しいコン柱へ更新した時から特に元には戻らず、そのままなのかと考えられた。


2155.鳥居型から支線下がる。

 


これは旧式でレアものという分類だな。



ここでは珍しく!


鳥居型から支線が下りていた!!



現在では、架空地線すら廃止されているから、そう簡単に見つけることはできまい。w




年式は1972年!昭和47年か

鳥居型は正しくその当時物だな!




真横はこんな感じ。



支線については、かなり急こう配

そのためここは、鳥居型からも支線を張ったのだろうか?



最後に反対側!


2154.低圧配電線の上部に架空地線


通常の電線の配列方法としては、上から見てゆくと、架空地線、高圧配電線、低圧配電線、電話線やケーブルテレビ他の電線の順となるが


ここでは架空地線の下には高圧はなく低圧配電線となっているが、珍しく低圧配電線の上部に架空地線が張られていた。



ちなみにその分岐元はこんな感じ。


ここでも長い架空地線キャップが確認された。

そしてこの右側!



ここでも珍しく、低圧配電線の上部に架空地線を張ったもの発見!


架空地線キャップはこちらも初期型の長いタイプのようだ。



しかし横から見ても長いですな!

あれだけ長ければ、高圧配電線への雷の直撃も防げそうに思えるが・・・

どうだろ


おまけ投稿:続く初期型架空地線キャップ

 


初期型架空地線キャップを使用したものについては!

他に武練線という66kVの送電線が出入りしている大泉変電所(配電用変電所)前にも複数残っていた。



高圧用腕金も負荷側向きだし、古そうだ。



武練線の看板と

大泉変電所の看板



武練線の上部




ここは普通の架空地線キャップだな。




ここからは再び

初期の長い架空地線キャップが続くが


肝心なグランドワイヤーは全て取り払われており、今は避雷針としての役割としてしか機能していないように思えた。


これは
さっきの自動開閉器を取り付けた高圧配電幹線の立ち上げ箇所のプレートだな。

奥の方では、変圧器の取り換えなども目立った。


初期型架空地線キャップで、変圧器周辺は真新しい。




次いで鉄筋コンクリート柱の製造銘板は!


1968年を示していた。昭和43年か

いや、初期型架空地線キャップの登場時期は、昭和45年頃だと思うがなぁ

どうだろ?


2153.Dアームと水平腕金が合体したかのようなタイプ!

 


そうそう、後、練馬区には、Dアームと水平腕金とが合体したような


このようなものがある。

高圧絶縁電線は古い銅線を使用したものでの発見となったから、これまた旧式の分類か?
と思ってしまうが・・・古いかつ、地域限定装柱と言えようものじゃな。w
こういうものに関しては、練馬以外では見たことがない。
それはといえば、水平腕金とDアームが合体したかのようなものである。

これは他の高圧配電線と水平配列で空中交差分岐を行う場合に使っているように見られるが、他の地域ではこういうことはせず、そのまま縦型配列で交差させる場合もある。

(特に江戸川区の親水公園沿いでは、よくそれを見た覚えがある。)

練馬だけは、わざわざ複数本ある腕金を取り付けて、水平から縦型配列に変換するよりも、腕金自体でその変換を行う特殊なアームを開発したという感じだろうか




年式については、鉄筋コンクリート柱の製造銘板が1968年を示していた。



Dアーム自体については、既にその時代には登場していたようであるが、ここはアーム自体に関しては、そこまで錆びが見られないから、そこまで古いようには見えない。

見積もって平成初期頃から昭和の終わり頃のものであろう。w

おまけ投稿:長い初期型の架空地線キャップ

 2021年4月10日

この日は大泉学園駅より大分北側へ行った場所での撮影となった。



ちなみにだが!世田谷と杉並区の一部地域で確認できた長~い初期型架空地線キャップについては!!



練馬にもあるようだ。



この日の撮影は、その撮影が中心であった。