送電線から誘起されて引き起こる誘導障害についてだが、これの対策用として、配電線の上部に遮蔽線(しゃへいせん)という電気の通っていない電線を施設することがある。
特に昭和20年代以前については、配電線も裸電線の使用が目立っていたようであるから、配電線と通信線とを併架される場合は、配電線の下に遮蔽線を施設するようなこともあったようである。その場合は保護線とか保護網とかという名称がつけられたようである。
なおこれは、比較的最近新設されたもの(千葉に限る)では、架空地線の材質と同じワイヤーを使うものがあるが、古いものでは、これは裸銅線の使用が目立つ。
(誘導障害は通信線や人体に対しても起こる。あまりにも送電線に近すぎると、ビリビリッとくるものということでよいかと思う。)
今回はそういったものを紹介しよう!
こちらは、東京都葛飾区奥戸の環七通り内回り、スポーツセンター交差点付近に発見!
奥戸線の支持物は、矩形鉄塔が基本であったが 2019年末には、全ての送電塔が背の高いスリム鉄塔に建て替えられた。 写真は建て替えられた後に送電線が見える感じで撮影したものになる。 |
ここでは、配電線の上部に、奥戸線という送電線が通過しているためか
(奥戸線は昭和36年(1961年)建設)
ここでは珍しく遮蔽線を施設した配電線が確認できた。
遮蔽線を施設する場合は、がいしは取り付けない。 これは、腕金→接地線を介して、地中へ放電しやすくするためである。 遮蔽線をがいしで支えておったら、緊急時に地中へ放電できない。 しかし千葉の方では、何故かクランプがいしで遮蔽線を支持したものを見たことがある。 もちろん遮蔽線には接地線を接続した状態で・・・ 未撮影だが、その場所はこちらだ。 日本初の50万ボルト送電線・房総線の線下で確認済み。 大きな電圧でしかも送電塔も古く高さも低いことから、安全上のため このエリアは例え農地であっても、遮蔽線の施設が目立つ。 |
だが、前述の通り、奥戸線の矩形鉄塔は背の高いスリム鉄塔に建て替えられたので、今後は遮蔽線はなくなる運命にありそうだ。
電柱番号札の方は、電柱の建柱年が載っていないので コン柱の年式を見て、大体の年式を割り当てる。 |
最後に、遮蔽線の年式についてだが、これは昭和44年頃のようだ。
この時期は、丁度付近を通る環七通りの開通年と一致する!
もう半世紀近く、ずっと残り続けていたようだ。
寿命的にもそろそろなくなりそうだ。
詳細は、後ほど開設したHPでも紹介中!
<以下より、差し換え前の写真と記述>
架空地線が1本から3本に変わっている電柱です。
いいえ、架空地線というか、3本になっている区間は遮蔽線のようで、安全上のためでしょうか、誘導障害から配電線を守っているようです。
上部には送電鉄塔の奥戸線が通っています。
そのお隣では、3本の遮蔽線を引通ししていました。
遮蔽線を支持している箇所については、がいしはありません。