岩槻に次いで、行田にも現存している初代のFアームは、幅広だった。
なお、ここでは珍しく、架空地線も支持されていたが、それは片側へは寄せられていなかった。(千葉や東京では、ここまで長い腕金を使用して、高圧を片側へ寄せた場合は、それに合わせて架空地線も片側へ寄せられる例が多い。)
この感じだとここは、廃墟と化した物件がたまたま残ったから、偶然その目の前の設備も、長いこと更新されずに残ったようにみられる。
クランプがいしは、やや不均等で並んでいた。
そのクランプがいしも、埼玉に現存しているものとしては珍しく、2つずつ並んでいた。
(前に見たのは南栗橋の方だったか・・・)
年式は昭和50年(1975年)だった。
銘板は西暦表記
奥には鳥居型も見えた。
千葉、群馬に次ぎ、埼玉にも太い腕金を使用した鳥居型がある。 |
その鳥居型のある方の年式は、相当前だった。
こちらのコン柱の銘板は、1963年(昭和38年)とある。
まぁ、海から吹きつく塩の被害が中々ないこの辺では、そこまで古いものが残っていたとしても不思議ではないか
(いや、海寄りの横浜でも、ここまで古いのを一時見たことがあるぞ)
思いっきり南を向いており、逆光だが、反対側はこんな感じ。
おまけ
ここでは他にも古い構造のものがいくつか見つかった。
古い感じに見えるのは、手前にある手作り仕様の低圧用腕金と最後にある鳥居型だな
特に鳥居型の方は、高圧用腕金も短くなっている。
辺り一帯は何もないが、山は結構撮れそうだ。