2020年12月22日

臨時投稿:行田の初代のFアーム


岩槻に次いで、行田にも現存している初代のFアームは、幅広だった。



なお、ここでは珍しく、架空地線も支持されていたが、それは片側へは寄せられていなかった。(千葉や東京では、ここまで長い腕金を使用して、高圧を片側へ寄せた場合は、それに合わせて架空地線も片側へ寄せられる例が多い。)

この感じだとここは、廃墟と化した物件がたまたま残ったから、偶然その目の前の設備も、長いこと更新されずに残ったようにみられる。


クランプがいしは、やや不均等で並んでいた。

そのクランプがいしも、埼玉に現存しているものとしては珍しく、2つずつ並んでいた。

(前に見たのは南栗橋の方だったか・・・)

年式は昭和50年(1975年)だった。


銘板は西暦表記



奥には鳥居型も見えた。

千葉、群馬に次ぎ、埼玉にも太い腕金を使用した鳥居型がある。



その鳥居型のある方の年式は、相当前だった。

こちらのコン柱の銘板は、1963年(昭和38年)とある。

まぁ、海から吹きつく塩の被害が中々ないこの辺では、そこまで古いものが残っていたとしても不思議ではないか

(いや、海寄りの横浜でも、ここまで古いのを一時見たことがあるぞ)



思いっきり南を向いており、逆光だが、反対側はこんな感じ。




おまけ

ここでは他にも古い構造のものがいくつか見つかった。


古い感じに見えるのは、手前にある手作り仕様の低圧用腕金と最後にある鳥居型だな

特に鳥居型の方は、高圧用腕金も短くなっている。


辺り一帯は何もないが、山は結構撮れそうだ。