関西電力管内では今もなお、兵庫県の神戸には
配電線の支持物に鉄柱を使った配電柱は古いものとして残りつつあるが、
逆に東電管内では激レアな支持物となっており、鉄柱による支持物は全く見かけることはない。
(というより、元々関東の方では鉄柱の使用は少なく、鉄柱よりも木柱、もしくは電線の本数の多い街中では、早くて昭和14年(1939年)4月には、既に今の鉄筋コンクリート柱に取り替えてゆく話が持ち上がっていたようだ。(←東京電燈株式會社史 昭和31年12月20日発行を参考。)ところが、東京電燈株式會社開業50年史 昭和11年8月23日発行には、既に今の鉄筋コンクリート柱らしき支持物を使った配電柱の写真があるから、驚きである。(←これにより、一番早くて昭和11年には既出か?)まぁ、北海道の函館では既に、大正12年には現場打ちで組み立てた、角すい柱による鉄筋コンクリート柱があるぐらいですから、それもなんとなくわかる気はします。w)
なお、昭和初期の古い文献(配電法 電気教育研究会編 昭和6年4月廿日(20日) 3版発行)によれば、主に関西方面で、昭和初期にも普通に普及していたとの情報もある。そこには配電用
三角鉄柱と題し、配電線の支持物に鉄柱を使ったものが紹介されていた。但し、都内でも普通にそういったものが普及していたのかどうかは不明である。
↑今回参考にした古い文献の外見↑
(かなりの絶版なので、国立国会図書館にてご覧あれ!w)
さて、それでは!今回は情報提供により発覚した、
東電の配電線としてはレアな支持物と言えよう、
配電鉄柱を紹介しよう!w
手前には
木柱といった古い支持物もある中!
1本のコン柱を超えた先では!
東電の配電線では激レアな支持物と言えよう!鉄柱を使った支持物発見!
明治や大正時代といった大昔は、架空送電線路でも鉄柱を使った支持物が多くあったようだが、逆にいえば、今では架空配電線路用の支持物はかなりの激レアな分類に入るかと思われる。
高圧上部の腕金の配置については、2回線を支持できるかのごとく、古き時代によく確認できたハエタタキ形状をしていた。
なお、
ここが偶然鉄柱になったのは、
セメント工場で重機がよく稼働していることや、ここは川の横断箇所で配電線のスパンも長くなっているので、
それなりの強度が必要となったことが関係しているのかと思われる。
基礎はこのような感じ。
珍しいので、再度横写真を!!
強度維持のためか、両側には支線が張られていた。
なお、この鉄柱の建柱年については、昭和37年(1962年)のようであった。
真横写真はこんな感じ!
鉄柱は鉄柱でも、少し左へややしなっているのが見て取れました。
高圧絶縁電線については、外部の情報によれば、
十数年ほど前までは銅線だったようですが、今は近代的なアルミ線となっていました!
ただ、高圧耐張がいしはその銅線時代から未更新のようで古い!w
ストラップなどはしっかりと更新されているというのに、なんと、日本ガイシの旧ロゴが見えました。
最後は斜め反対側やより遠目から撮っておしまい!w