2020年10月18日

1844.今時現存するものとしては激レア!配電用三角鉄柱!!

さ~て!


ここでいよいよ、今回の撮影で最大のメインである配電用三角鉄柱の撮影と行こうじゃないか!

(情報提供、誠にありがとうございます。)

鉄柱はこの先、補強のために追加された茶塗装の配電柱の左にあるようだ。



見た感じそれは


木々の中に残っているようだった。

あったぞ!

これだ!

まだ現存していたか!

ちなみにこの鉄柱は、後にかなり古いものであることに気が付かされる。



とりあえず、配電線路名は変わらない感じか・・・


とここで、付近の地面を見たところ・・・

うおっ~!

これは!

今の懸垂がいしが登場する前の大正(早くて明治)~昭和30年代頃まで、送電線の引き通し箇所で使われていた特別高圧ピンがいしではないか!!

恐らく特別高圧ピンがいし 10号ではないだろうか?

今ではもはや、博物館級に貴重な送電用がいしである!

まぁ、割れているんじゃだめだけど・・・w


これがある時点で、この鉄柱は相当古いことがわかった。

配電用三角鉄柱については、配電法 昭和6年4月廿日 3版発行(古い送配電工学系の文献)によれば、昭和初期頃より市街地で普及していたと明記されていたが、この鉄柱ももしかしたら、その時代のものなのかもしれない!


しかもこの特別高圧ピンがいし

なんと!アングルに固定されながら放棄されていたのだった。w

しかし放棄はあまりよくありませんよ、電力会社さんw


アングルがあるということは、かつては結構なスパンでここの配電線を支持していたのかと思われた。

ちなみにだが、スパンが長くなってしまうと、昭和初期~昭和30年代頃まで普及していた、当時の3300V仕様の高圧ピンがいしでは、強度不足となるので、ここは特別に、かつて送電で使われた特別高圧ピンがいしを採用していたのかと思われた。

特別高圧ピンがいしについては、かんじんな製造年の印字はなかったが、製造メーカーはわかる。

松風工業製である。

松風工業もまた歴史ある高圧がいしの製造メーカーであったが、1964年頃に解散されている。


その他には・・・

AC58-1と見えるが、これは単純に型式だろうか?


なお、アングルに取り付けられながら残っている特別高圧ピンがいしは1つだけだった。



と思っていたが・・・w

おや?

後もう1つ、がいしのような白い磁器のような物体発見!w

しかしこちらは、さっきの特別高圧ピンがいしとは別物だ。


山だからって、高圧がいしを放棄するのは・・・w

(そこまで見るのは、私ぐらいしかいないからだろうって・・・w)

まぁ、それがあるおかげで、歴史を知ることができたのはよかったんだけどねw

掘り起こしてみると、高圧ピンがいしが出現

これは恐らく、強度不足でかつて取り付けられていた初代のアングルの2の次、2代目として取り付けられていたものであろう。

なお、この高圧ピンがいしについては、昭和35年前後に普及し始めた、現代の6600V配電の対応品となっている。ちなみにこの当時、3300V配電もまだあったから、やや小型のものとして、現代仕様の高圧ピンがいしに似せたものも同時に普及していた。これまた種類がきめ細かいのである。しかし文章だとわかりにくいので、そこは是非、私のがいし図鑑をご覧あれ!w

さて、こちらの製造年だが

赤倉温泉へ向かう途中に確認できた年式と一緒であった。

第一次スキーブーム?の1971年(昭和46年)を示しておった。

次いで製造メーカーは、会津碍子製であろう。



で、現状ある高圧中実ピンがいし

恐らくこれがその2代目にあった1971年製の高圧ピンがいしより置き換わった3代目であろう。

これは1991年頃に更新されているようだった。

(会津碍子製のがいしの製造年は、左側に書かれている模様)

このがいしも決して、更新後は放棄しないようにw



なお、今回のがいしは、決して持ち帰ることはせず、唯見るだけにしておいた。w

さて、鉄柱の撮影につい夢中になってしまったが、その次には現代の鉄筋コンクリート柱がある。


こちらについては、古くからある鉄柱の補助のために後から追加された感じに思える。

2006年(平成18年)式のようだった。

プレートはこんな感じ。





おまけ


それにしても、こんな天空の世界に幻の電柱があるなんてなw

この雲海を見ていたら




そう思えてきたのだった。

1843.木々から配電線を守るための役割を果たす遮蔽線(しゃへい線)、いや、支線だなこれは

 

さぁー鉄製の配電柱(配電用三角鉄柱)まであと少し!


その前に!

ここでまたレアものを発見したので、道草だ。w



高圧配電線の上部だが、ここでは2条の遮蔽線、いや玉がいしを入れた支線のようなものが張ってあったのを確認だ。



これはどうやら、周囲にある木々から配電線を守るために施設されているのかと思われた。

それについては、分岐先に限って施設されているのが見て取れる。


なお、ここにある開閉器については



どうやらここでまた連系用開閉器?があるようだった。

東電管内もそうであったが、連系用開閉器があるそばは、スイッチオフ状態の開閉器があるのみで、あまり設備がいじられないためか、意外と古い設備が残る傾向にある。(東電管内では、連系用開閉器を施設した次の装柱で、ジャンパー線支持に耐塩皿がいしを使った旧式が現存なんてこともあったっけな←神奈川県大和市で見かけた。)

ちなみにだが、この次にいよいよ、今回の撮影で最大の目的である鉄柱がある模様!

さて

分岐先だが、ワンスパンのみで終端となり、引き留めとなっていた。


木々から守るための2条の支線はここまでとなっていた。

プレートはこんな感じ。

さぁ、鉄柱、鉄柱!

撤収じゃないよw

1842.区分開閉器を挟んで分岐したその先は・・・


その前に!

まず、スケルトン仕様となった気中開閉器であるが



これは一応東北電力管内でも普及しているようだ。

とはいえ、これは中部電力でも普及しているものとは別物に見える。

次いで、鉄筋コンクリート柱の色、ここも木の幹に合わせて茶色系に塗装したように見られる。

引き通しの高圧中実ピンがいしについては、どこかで木に電線が引っ張られているのか、やや傾きが発生しているようだった。


んで、気になったのはこの分岐先である。

特に川の横断箇所というわけではないが


ここではゲレンデの中を通りつつ、スパンもまた長くなるためか、H柱が並んでいた。


先の方ではダブトラを乗せたEアーム装柱も確認できた。