2020年8月29日

1812.レアな引き下げ方?

ここでは、6万6千ボルトの豊島園線(送電線)の下を


高圧配電線が少し高さを下げて通過しているのだが


ここはその中で、その高圧配電線の下げ方が珍しい感じだ。

振り分けながら2段程引き下げといった感じだった。

 6万6千ボルトの送電線でも、近すぎると人体にもビリビリ来ますから(誘導)、ここでは配電線が送電線を避けている。

そのため昔は、高圧配電線の上部に遮蔽線(しゃへい線)を施設することもあった。

(その手の遮蔽線は、千葉では現在も施設している箇所がある。それは、送電電圧275kVの東京東線だったのを記憶している。日本初の500kVの房総線の線下も多い。)

また、大昔は配電線も裸電線だったから、その下に遮蔽線も設けることもあった。

反対側はこんな感じ。

振り分け地点での引き下げとなっているので、ジャンパー線支持の10号中実がいしのつけ方も変則的だった。


おまけ

さてここからは、この日少しだけ巡っていた豊島園線の送電塔写真もおまけとして掲載しよう!

豊島園線の建設は大分古いようで、昭和36年(1961年)12月を示していた。
しかし本拠地、豊島園の開業はもっと古かったはず。

(今回追跡の送電線は、関連施設なのかどうかは不明)

それにしてもはて、豊島園線は、遊園地閉園後でも豊島園線として、存続するのだろうか?ハリーポッター線になる確率は低いかw

豊島園線には、比較的若いものでは、片寄せされた送電塔があったり、道路の上部に立っていたりするものがある。
そういった送電塔は、道路状況によって、建て替えられたようだ。

こちらは平成元年の建て替えの模様

しかしその中ではやはり、道路上の送電塔がレアだろう。


この通り、ここでは道路の上部に立っている。
そのため、送電塔にはいつもは見慣れないこのような表示も・・・

なお、同じ電力会社でも、支社によっては、送電線の下を通ることを禁じているところもある。(千葉の方では、「墜落防止の観点で、入るな」的な警告を見たことがあるが、このように通れるようにしている支社もあるようだ。これまでのまとめだと、東京と神奈川では、やむをえず道路の上部に送電塔を施設する場合は、通れるようにしている感じがする。同じ関東でも、考えは違うらしい。w)


さて、それでは中々撮れない結界を、道路の端によって撮ってみますかな


こんな感じとなった。



こちらも昭和53年には建て替えたようだ。



反対側はこんな感じ。


遠くからはこうだ。


さて、折角来たことだし、1号まで行ってみるか



手前のものは確実に昭和36年だなぁ



架空地線支持の三角帽子を取り外せば、正しく昭和の送電塔といった感じだ。


しかしこちらは、年式の確認はできなかった。

その次の2号は


最近の建て替えかもしれん。




こうして、1号に到着


1号はどうやら当時物のようだった。
なお、1号より電源側については、電線路名は別のものになっている。


武練線とあった。

1811.ショートサイズで、やり出し両引き


 ここでは

本線の高圧配電線の引き下げ地点の次にて!





昔よく使われていた

長さ1500mmのショートサイズの高圧用腕金を使ったものを発見!

しかもこちらは、全ての高圧配電線を片側へ寄せたやり出しだった。


また、高圧配電線は引き通しではなく、両引き留めである。

元々は三相交流3線式で両引き留めとなっていたようだが
最近になり、奥の方の設備が更新されたので、次の区間からは単相交流2線式高圧配電線に切り替わっていた。
なお、柱上変圧器も取り換えたようで、トンボ腕金不使用の直付けとなっている。


この感じだと、昔は高圧ピンがいし2連による引き通しであったとも考えられそうだったが、高圧耐張がいしのカバーが古いから、その可能性は低いと思われた。


年式については、やはり1969年だった。

ショートサイズの高圧用腕金は、正にその年代物であろう。

反対側はこんな感じ


明らかに腕金が短い。

カーブ箇所かつ、この手前に本線の引き下げがあるので、残ったと言えそうか

臨時投稿:としまえんの入り口まで行く





2020年8月29日、この日はとしまえんがもうじき閉園するとのことで、入り口の目の前まで行って、撮影して、その後、付近の電柱撮影といった感じとなった。


としまえんか・・・幼少期の頃は遠足で行ったような思い出が・・・

お化けの出そうなミラーハウスも行ったことがあるねぇ

鏡と鏡がぶつかり合うような場所は出るとか言われるよね・・・


後は最後に行ったのは、中学生の友人の時以来だなぁ

その後はもう電柱に没頭し始めて・・・今に至る。w

中学生の時も既に巡りたい送電設備があったが、当時のカメラはまだあまり撮影ができぬデジカメだし、金もかかるわでとても行けなかった。w

さて、この後は撮影の日記を書こう。


2020年8月22日

おまけ投稿:ジャンパー線支持に旧規格の耐塩ピンがいし

 

2020年8月22日


この日は馬橋でこれを!




東京電力管内で見かけることがほとんどない、旧規格品の耐塩ピンがいしの撮影である。

このがいしの現役が見れるのは、非常に珍しい。

主に千葉で普及していたようである。



年式はプレートでは確認ならず。


ちなみにここでは、同じ耐塩ピンがいしを使ったものが2本連続で並んでいた。

↑ご覧の通り、工場の構内線などではない。

とはいえ、双方の配電線はそれぞれ繋がっていないものとなるがのう
ここもジャンパー線支持にその手のがいしを使っている。


年式については、ここで確認できた。1969年のようだ。



最後に、遠くからはこんな感じ。

2020年8月13日

1810.倒れそう

 

こちらは明らか


上部引き留め側の高圧配電線に引っ張られて倒れそうになっている。

配電柱の背丈もあの位置だけ高そうだ。w


背後には支線を張れるスペースがないため、傾いたのかと思われた。



ちなみに上部の引き留め側はこんな感じだった。

(上部引き留めは、電源側、負荷側を意図したものが多いが、ここはそうではなかった。)

こちらはすぐに終端となり


75kVAの大容量トランスを乗せたものが1台あった。







ちなみに分岐している方は、本線のケーブルヘッドがあるので

通常の下段分岐は適用できなかったのだろう。





以上、水戸での撮影はこれで終了となった。