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2020年2月9日
1684.高圧配電線より上部に開閉器!
これまた珍しい取り付け手法だ。
前回は、愛知県の豊橋市内にて、高圧配電線より上部にある架空地線支持の腕金に開閉器を取り付けたものを発見済みであるが、今回はまたそれとは違う種類となりそうだ。
今回発見のものは!
高圧用腕金のすぐ上に別の高圧用腕金を取り付けて、そこに開閉器を取り付けるといった手法であった。
アームタイについては2本あり、上部から下がっているのが見て取れた。
なお、この開閉器については、見てみたところ、常時開放のようだ。
スイッチの役割を果たしている3つの刃の部分が白い磁器部分から下がっているのが見える。
1683.特にロングスパンというわけではなさそうだが、特大サイズの高圧用腕金を中央に固定した両引き留め装柱を発見!
こちらは特に
川や鉄道の横断箇所というわけではなさそうだが
なんだかそれを思わすかのように、ここでは超特大サイズの高圧用腕金を使っておった。
高圧用腕金であるが、かなり長いのが見て取れる。
反対側はこんな感じで!
年式については、昭和45年前後のものと推測
(ここでは年式の確認はできなかった。)
アームタイについては、腕金が少し長すぎるため、両サイドに2本あった。
1682.変圧器への引き下げ線を6号中実がいしで支持!
ここでは、変圧器への引き下げ線支持に、6号中実がいしを使ったものを発見した!
(ちなみに東京電力管内で、その用途のものを発見できれば、かなり珍しいものになる。それについては、まぁ、群馬の方にあるらしいがなぁ)
中部電力管内では、高圧配電線の引き通し、それから変圧器への引き下げ線支持に関しては、10号中実がいしの使用が目立つので
この手のものは、多少珍しいものかと思っている。
1681.1本腕金で、4方向の架空地線をさばく!
ここでは
2回線ごとのやり出し装柱で、左へは2回線の分岐、右側では1回線の分岐をしている配電線の分岐箇所となっているわけだが
←珍しいと思ったのは、その最上部で架空地線を支持している腕金である。
こうしたものは、通常は鳥居型を使うものかと思うが、こちらは珍しく1本の腕金だけで、4方向の架空地線をさばいておった!珍しい!そのため、1連の耐張がいしもそれそれ4方向にあるのが見える。
反対側はこんな感じで!
やり出しとなった高圧用腕金については、負荷側向きのようだった。
それにしてもここでは、右下の方で、三相4線式低圧配電線を支持しているやや真新しい大型のCアームも気になるところだ。
なお、年式については、ジャスト1980年(昭和55年)のようであった。
腕金類については、正に当時物ですな
1680.街灯用のための小さな柱上変圧器をハンガー装柱で!!変圧器の容量は5kVA(キロボルトアンペア)!
今回見つけたものは、普段、東京電力管内の配電線を眺めている身としては、「これは今時ではかなり珍しい容量ではないのかなぁ~」と思ったものである!
ここまで小容量の変圧器を取り付けたものとなると、一見は旧式のようにもみえるが 実際のところは、他でもいくつか発見している。 |
というのは、ここでは、街灯の電源専用に、小さな柱上変圧器を取り付けているのだが、今回気になったのは、その変圧器の容量についてだ!
ここで取り付けられている変圧器の容量は5kVAだ。 製造メーカーは、愛知電機製 |
変圧器の容量は5kVA(キロボルトアンペア)であった!
なお、中部電力管内では、東京電力管内のように、低圧本線を広範囲に渡って張ることが少ないので、こういう珍しい容量のものが確認できるようである。
ちなみに変圧器の容量の種類については、電気が普及した頃より、1kVA,2kVA,3kVA,5kVA,7.5kVA(7と1/2表記あり),10kVA,30kVA,50kVA,75kVA,100kVAとあり、現代の大容量に続くまで幅広い種類あって、1kVAや5kVAについては、かなり昔に電灯線用で普及していたので、今でもその手の容量が確認できたのは、ちょっと貴重さがうかがえた!
そして、変圧器については、幾度か取り換えているようだったが、変圧器のハンガーを固定してある腕金については、昔っから使っているようで
昔の民営化前の電電公社のマークは 配電線と電話線類を一緒に共架するようになったという意味合いかな |
年式は1974年であることがうかがえた。
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