継柱した珍しい木柱だが
今度は単相交流2線式となった高圧配電線の引き留め箇所で発見!
変圧器自体は新しい感じに見えるが、それを固定する捕縛は古く?番線を使っているみたいだ。
最後に反対側~!
高圧用腕金は、かつて単相交流2線式用で専用のものがあったのか、短いものが使われていた。
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継柱した珍しい木柱だが
変圧器自体は新しい感じに見えるが、それを固定する捕縛は古く?番線を使っているみたいだ。
最後に反対側~!
高圧用腕金は、かつて単相交流2線式用で専用のものがあったのか、短いものが使われていた。
はい!
いやはや~どうやら中国電力管内では、他にもありそうだ。O_o
(この後他に2本も発見することになる。wいや、これから撮影に行く山口県の下関も含めると(2022年4月撮影のため、まだ未アップ)合計3本か!)
やや遠目はこんな感じで!
分岐をしながらの継柱は今回が初発見かなぁ
配電用三角鉄柱があるのだが、そちらについては住宅の敷地内にあって、近距離撮影はできそうにないから
周囲で撮れる範囲で撮影してみた。
中国電力管内も現在では変台を必要としない変圧器が基本であるが、かつては東電管内のように、上下にトンボ腕金があったように見られた。
ちなみに奥で見えた2本目については、どうやら高さが足りなかったようで、上部は簡単な部材で高さの嵩上げがされていた。1本目を別アングルで!
こちらは錆びが凄まじかった。
近代的なビルを背景に、戦前の配電用三角鉄柱!
もう片方の上部継ぎ足しの方はこんな感じだ。
さぁ、ここでようやく本題へ入ろう。
(情報提供頂き、ありがとうございました。)
これまた相当古いと思われるものだ。
既に昭和初期の文献では、あることを確認している。
参考にした文献:配電法 昭和6年4月廿日(二十日) 3版発行の11ぺージ
その様相がまるまる載っている。
また、広島平和記念資料館では、原爆にやられながも無残に立ち尽くした鉄柱の写ったパノラマ写真を確認している。(2020年11月見学)
一応それなりの強度はあったようだ。
かなり細い路地に残っているため、中々現代の鉄筋コンクリート柱に更新できずにいるのかと考えられた。
送電塔同様、鉄柱に関しては、防錆塗装を定期的に施すことで高寿命を果たすことができる。
鉄柱に変台があるこの構成!
う~ん、関西電力ではこの手のものは確認できないであろう。
関西電力管内でも鉄柱が実在するのだが、そちらの方では四角柱が基本で、変台は見たことがない。
看板の字体からも戦前であるのがわかる。
号の字が旧字である。
唯、昭和何年なのかは、文字が消えており?正確な年式は確認できなかったが、電線路名は、八幡幹線とあるのが見て取れた。(現在もその名で稼働か?)
元は特別高圧ピンがいしでも取り付けた小さな送電線だったのだろうか?
それはちょっと違うか・・・
いや、現に東北電力管内では、配電用三角鉄柱の付近に無残にも放置された特別高圧ピンがいしも見たことあるぞ!特別高圧ピンがいしがあるということは、小規模な送電線であったことも考えられる。
ここでは両サイドにアームタイがあるのが見て取れる。
こちらは全ての高圧配電線を片側へ寄せたやり出し装柱で三角鉄柱となっていた!
4本目はこんな感じ!
こちらの腕金は長いサイズだ。
プレートはこんな感じ。
一応現在も八幡幹線として稼働しているようだ。
上部の方は錆びが目立っていた。
最後に4本目の反対側~!
こちらも変圧器を取り付けるにあたって変台が併設されている。