2019年4月28日

1393.ダブル離隔で分岐!

離隔腕金をダブルで使った!

大胆な分岐を発見!
新種で増えているのだろうか
分岐先は2方向あり、2つともラインスペーサーを使っての分岐となっていた!
なお、ジャンパー線支持の10号中実がいしについては、離隔腕金の縁の部分に取り付けられている。

1392.引き下げ線、下段回線を素通し!

前ページで紹介のものに引き続き、2回線の配電線となっているが

こちらもまたもや変わった点が!


それがこれだ!



4本もの引き下げ線が下がるが、張られている低圧線には一切、変圧器から取り出した低圧線は接続されていないことがわかる。
なんとここで、最上段回線から変圧器への引き下げ線が引き下がっていたのであった。



だが、そうなっているのにはわけがあった!

こうしたものは通常、下段回線から変圧器への引き下げ線を取り出すのが主流だが、ここでは最上段回線に自動開閉器が備えつけられているので、それの制御用にと、最上段回線から引き下げ線を引き下げているだけのようであった。

なお、引き下げ線が4本ある意味については、双方向からくるいずれかの配電線が故障した時のことを考えて、両方向から引き下げ線を2本ずつ取り出しているのかと思われる。

1391.開閉器、家側へ取り付け

普通、開閉器というのは、道側に向けて取り付けるものを見かけるのが大半だが

ここは違った!


何故か家側に向けて、それを取り付けていたのであった!




2回線間が狭いので、そうしたのだろうか?
それか張力に関するバランスの維持か・・・

1390.上部を腕金で継ぎ足し!

10連休初日は、千葉の我孫子へ行ってみた。

で、こんなものを発見だ。

通常、こういった場合は、パンザーマストというもので継柱することが多いが!↓



ここは違った!

普通に腕金により上部を継ぎ足していた!
まぁこれは、昭和の木柱の時代にもよくやっていたことだったのだそうだ。
木柱の場合は腕木や腕金を上部に継ぎ足すのではなく、木柱の上にさらに木柱を継柱していたのであった、だから、近代の設備でこうしたものを見かけるのは、非常に珍しいともいえる。



反対側はこんな感じで!



変圧器周りは千葉と茨城限定の構成です!
それは何かといえば、土台不要のトランスでありながら、下段もトンボ腕金を使用していることだ。これは2008年頃に普及していた。
なお今は、直付けがあるので廃止




ちなみに箱根では





全ての電線を方側へ寄せたやり出しによるもので同種を見たことがある。


2019年4月13日

1389.Fアームでケーブルヘッドは背後配置!

この日は、日本で初めて鉄製の送電塔が建てられた塔ノ沢発電所近辺へ行ってみた。

といっても、当時の鉄塔自体はもう既に現存しておらず、あったのは2代目による普通の近代的構成の送電塔である。



塔ノ沢発電所(旧:横濱水力電気 塔の澤発電所)の最寄り駅は塔ノ沢駅



ここから狭い路地を歩いて
現場へ到着!



これはかつて実在の箱根水力電気會社(横濱水力電気)が塔ノ沢から横浜に向けて建設した塔ノ沢線という電線路なのだそうだが(東京電力の電気の史料館に当時の鉄塔の展示あり!)・・・
ところで、今の送電線は繋ぎ替えされているのかなぁ~?

この日の電柱撮影は、それも含めての撮影となった。w




日本初の送電塔(送電鉄塔)があったのは、丁度山の上の方だ。


この辺のようだが、残念ながら今はそこに、1901年(明治34年)建設であった、日本初の送電塔があったような痕跡は見られない。

ちなみに
当時の方が書かれた説明付き!
昔はこんな感じであったらしい。

※この絵葉書は、撮影者及び団体名が無記名で、公表後、確実に100年以上が経過しており、著作権は消滅していると思い、掲載に至った。
裏面には確かに、明治44年(1911年)の消印が押してあった。

送電線は水平配列だったようだ。
それにしても、こちらは凄いところに建っている。





現在の塔ノ沢発電所の様子です。




iPhone XRで撮ったパノラマはこんな感じ。


そして、この記事でメインで紹介するはずのレアな配電柱も紹介しなくては!



これだ!
塔ノ沢駅から細い路地を歩いている最中でも見える。w












廃道(トンネル)旧道の手前に!


フェンスの外から撮ってます。



Fアームが2本並んでいるのだが!
ここで気になったのは、各あるケーブルヘッドの取り付け方だ!


手前は廃止されているが、いずれともFアームの背後に向けてそれらは取り付けられていた!


おまけ


一方、付近にある熊野神社の山側には





謎の廃電線路発見!(情報提供により知る!)
神社にお参りがてら巡る。

塔ノ沢発電所に絡むものだったのだろうかー
それとも、この辺一帯に電力供給をかつて担っていた配電線だったのだろうかー
(電力会社管轄ものだとしたら、除却はすると思うのだがなぁ~謎である。)

見上げると

既に!高圧ピンがいしからして古い!

これはかつての配電電圧3300V時代のものである!
詳細をいうと、1926年の昭和初期~昭和30年代頃まで普及していたもので(さらに細かくいうと、高圧がいしであることを示す赤い線の引き方にも種々多用!全体が赤く塗りつぶされている仕様もある。)、また、それを取り付けているアームも特殊な三角形をしている!

電柱番号札があったら撮ろうかとも思ったが、残念ながら近寄れそうにない。w

この三角形も正に!昭和の木製送電柱で流行っていたような構成だ!!
送電線だったのかー?


それにしても!
木柱に掘られている真四角の溝がなんとも古そう!

かつてはここに、腕木を取り付ける予定があったのだろう。
それは恐らく、低圧線になろうかと・・・

やっぱり配電線か!?