2020年12月26日

1924.上部に空間のあるFアーム

 これは単純に、かつては最上段にもう1回線あっただけの名残であるが、Fアームの上部に空間があるという構成が変わった感じに見えたから、思わず撮影


というよりもここは、2回線ある隣接配電柱からの支えとして、支線を張っているから、そうしたとも言えそうか


架空地線支持の腕金であるが、アームタイでしっかり補強されているのが見える。

まぁ肝心な架空地線はないものとなっているが・・・

1923.別の腕金に引き込み開閉器

 


東電管内では、開閉器は直接高圧用腕金に取り付けるのが基本であるが、ここは違った。



ここでは高圧用腕金が、高圧耐張がいしの付いている側(引き留め側)に取り付けられており、強度に懸念があるためか(引っ張られてしまうから)、別の腕金を用意して、そこに開閉器を取り付けているのが見えた。



おまけ



1922.レアな構成が立て続けに並ぶ!奥の方は今まで見たことがない継ぎ足しよう!

 さぁー今回は、SNSに投稿されてて、ずっと探し求めていた、極めて珍しい構成の撮影だ!

(手がかりは、丁度切れ端に写っていたJRの古い送電塔だった。)




場所は湯河原だった。

ちなみにこの先の山道を上がっていくと、湯河原パークウェイへ抜けられ、その道路沿いでは、耐塩皿がいし引き通しの廃線も見ることができる。w
唯そこは、徒歩での撮影は無理である。


探し求めていたものはこれだ!

その前に!

ここは高圧の配置も珍しかった。


まず右手前であるが


↑高圧配電線の配列は珍しく、上下で揃えられてはおらず、上段は普通の基本形となっているが、下段は腕金を中央に固定した引き通しとなっている。

下段が中央固定なのは、高圧引き込み線を分岐していることが絡んでいる感じだろうか

なお、その高圧引き込み線の分岐先も珍しく、Dアームが建物で固定されていた。

ここは珍しいもの尽くしである。w



その次は、上段は腕金片寄せ固定のやり出しの両引き留めとなっているが、下段は基本形の引き通しだった。



そしてその次が!



今回最大の目的!


正真正銘の激レア構成だ!w





ここでは珍しく、離隔腕金とFアームの両方の構成が並んでおり、マンションの目の前では、高圧をできるだけそこから引き離すため、腕金を継ぎ足したものが続いていた!

なお、下段回線については、ここよりCVTケーブルとなる。


Fアームに継ぎ足されている腕金は、特大サイズの腕金

そこまで引き離しているのは、マンションで万が一、災害は発生した際、はしご車で救助しやすいようにしたのかと考えられるが、最上段回線については、普通に絶縁電線である。

普通ならば2回線ともCVTケーブルになると思われるが、ここでは最上段はそうなっていなかったので、激レア構成が続いたようだ。


それから、Fアームに普通サイズの腕金を継ぎ足すという光景は、探すと見かけるが、ここは普通サイズではなく、特大サイズを継ぎ足している!

さて、ここで年式を見てみよう。


年式は2006年だった。

平成18年か



続いて2本目の拡大!

下段回線については、その先、最上段回線に離隔腕金を取り付けた箇所で普通の絶縁電線に戻っている。



それから手前側のFアームのある方では、CVTケーブル用の区分開閉器もある。



反対側はこんな感じで!


中々ないものだから、思わず激写してしまった。w



↑上部離隔腕金、下段基本形というこの絶妙な構成も、他では見慣れぬ構成だ。

ここではご覧の通り、激レア構成が連続していたのだった。w












人がいたら、ここまで撮れないよw



おまけ



さて、今回の撮影で手がかりとなったJRの送電線もまた古そうだった。



架空地線支持の三角帽子のない送電塔は、どれも古い。

こちらも見た感じ昭和20年代か昭和30年代頃ではないだろうか






その電線路名は、湯河原-来宮間送電線といったところだろうか
来宮線か

2020年12月22日

臨時投稿:行田の初代のFアーム


岩槻に次いで、行田にも現存している初代のFアームは、幅広だった。



なお、ここでは珍しく、架空地線も支持されていたが、それは片側へは寄せられていなかった。(千葉や東京では、ここまで長い腕金を使用して、高圧を片側へ寄せた場合は、それに合わせて架空地線も片側へ寄せられる例が多い。)

この感じだとここは、廃墟と化した物件がたまたま残ったから、偶然その目の前の設備も、長いこと更新されずに残ったようにみられる。


クランプがいしは、やや不均等で並んでいた。

そのクランプがいしも、埼玉に現存しているものとしては珍しく、2つずつ並んでいた。

(前に見たのは南栗橋の方だったか・・・)

年式は昭和50年(1975年)だった。


銘板は西暦表記



奥には鳥居型も見えた。

千葉、群馬に次ぎ、埼玉にも太い腕金を使用した鳥居型がある。



その鳥居型のある方の年式は、相当前だった。

こちらのコン柱の銘板は、1963年(昭和38年)とある。

まぁ、海から吹きつく塩の被害が中々ないこの辺では、そこまで古いものが残っていたとしても不思議ではないか

(いや、海寄りの横浜でも、ここまで古いのを一時見たことがあるぞ)



思いっきり南を向いており、逆光だが、反対側はこんな感じ。




おまけ

ここでは他にも古い構造のものがいくつか見つかった。


古い感じに見えるのは、手前にある手作り仕様の低圧用腕金と最後にある鳥居型だな

特に鳥居型の方は、高圧用腕金も短くなっている。


辺り一帯は何もないが、山は結構撮れそうだ。