これは単純に、かつては最上段にもう1回線あっただけの名残であるが、Fアームの上部に空間があるという構成が変わった感じに見えたから、思わず撮影
というよりもここは、2回線ある隣接配電柱からの支えとして、支線を張っているから、そうしたとも言えそうか
架空地線支持の腕金であるが、アームタイでしっかり補強されているのが見える。
まぁ肝心な架空地線はないものとなっているが・・・
3歳の頃から電力会社の配電線に興味があり、個人的に気になったものや変わったものなどを巡っています。 ※当サイト内の画像・文章の転載、複製、改変等は一切禁止します。もし発見した際は、警告のうえ、悪質な場合には法的措置をとる場合があります。 当サイトは、電力会社や機器メーカー等とは一切関係ありません。 Unauthorized copying and replication of the contents of this site, text and images are strictly prohibited.
これは単純に、かつては最上段にもう1回線あっただけの名残であるが、Fアームの上部に空間があるという構成が変わった感じに見えたから、思わず撮影
というよりもここは、2回線ある隣接配電柱からの支えとして、支線を張っているから、そうしたとも言えそうか
まぁ肝心な架空地線はないものとなっているが・・・
東電管内では、開閉器は直接高圧用腕金に取り付けるのが基本であるが、ここは違った。
おまけ
さぁー今回は、SNSに投稿されてて、ずっと探し求めていた、極めて珍しい構成の撮影だ!
(手がかりは、丁度切れ端に写っていたJRの古い送電塔だった。)
場所は湯河原だった。
ちなみにこの先の山道を上がっていくと、湯河原パークウェイへ抜けられ、その道路沿いでは、耐塩皿がいし引き通しの廃線も見ることができる。w 唯そこは、徒歩での撮影は無理である。 |
その前に!
ここは高圧の配置も珍しかった。まず右手前であるが
下段が中央固定なのは、高圧引き込み線を分岐していることが絡んでいる感じだろうか
なお、その高圧引き込み線の分岐先も珍しく、Dアームが建物で固定されていた。
ここは珍しいもの尽くしである。w
なお、下段回線については、ここよりCVTケーブルとなる。
Fアームに継ぎ足されている腕金は、特大サイズの腕金 |
普通ならば2回線ともCVTケーブルになると思われるが、ここでは最上段はそうなっていなかったので、激レア構成が続いたようだ。
それから、Fアームに普通サイズの腕金を継ぎ足すという光景は、探すと見かけるが、ここは普通サイズではなく、特大サイズを継ぎ足している!
さて、ここで年式を見てみよう。平成18年か
下段回線については、その先、最上段回線に離隔腕金を取り付けた箇所で普通の絶縁電線に戻っている。
ここではご覧の通り、激レア構成が連続していたのだった。w
おまけ
架空地線支持の三角帽子のない送電塔は、どれも古い。
こちらも見た感じ昭和20年代か昭和30年代頃ではないだろうか
なお、ここでは珍しく、架空地線も支持されていたが、それは片側へは寄せられていなかった。(千葉や東京では、ここまで長い腕金を使用して、高圧を片側へ寄せた場合は、それに合わせて架空地線も片側へ寄せられる例が多い。)
この感じだとここは、廃墟と化した物件がたまたま残ったから、偶然その目の前の設備も、長いこと更新されずに残ったようにみられる。
クランプがいしは、やや不均等で並んでいた。
そのクランプがいしも、埼玉に現存しているものとしては珍しく、2つずつ並んでいた。
(前に見たのは南栗橋の方だったか・・・)
年式は昭和50年(1975年)だった。
奥には鳥居型も見えた。
千葉、群馬に次ぎ、埼玉にも太い腕金を使用した鳥居型がある。 |
その鳥居型のある方の年式は、相当前だった。
こちらのコン柱の銘板は、1963年(昭和38年)とある。
まぁ、海から吹きつく塩の被害が中々ないこの辺では、そこまで古いものが残っていたとしても不思議ではないか
(いや、海寄りの横浜でも、ここまで古いのを一時見たことがあるぞ)
おまけ
ここでは他にも古い構造のものがいくつか見つかった。
特に鳥居型の方は、高圧用腕金も短くなっている。
辺り一帯は何もないが、山は結構撮れそうだ。