これまたレア構成!
下段はご丁寧な構造だが、上部はトンボ腕金にはせず、1本の単一腕金で変圧器への高圧引き下げ線を引き下げていた。
反対側~
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2022年5月28日
この日は、東海道新幹線、そしてJR身延線などを乗り継いで!榑坪線の撮影へ向かった!!
まずは静岡駅まで出て、そこから特急ふじかわに乗る。
榑坪線の第一撮影ポイントの最寄り駅は内船駅
(第二撮影ポイントは下部温泉駅からの徒歩で、翌週撮影へ行くことになる。w思い返せば、下部温泉もまた昭和2年(1927年)竣工の田代幹線の撮影へ行ったよね~2021年の5月末ぐらいだった。そん時は身内と行ったので、車で行けた。wさすがにあそこは車でないと無理w)
(むしろ車の運転の方が苦手。しかしこれでも、送電線の現場仕事をしていた時は、普通に毎日乗っていたから自信はあった。以降は他業種に入社し、それからは全く車を使う仕事でなくなったため、自信がなくなっただけである。今は苦手な車は運転したくないから、長距離歩いて努力するよ。w)
↑配電線の方は、昔の送電線は背が低いから、大分低い位置を通る羽目になる。 |
ここでは何の撮影がメインだったのかというと!?
マニアックな榑坪線だ。
この送電線の年式は、大正9年(1920年)1月のようだ。
なお、がいしについては、驚きの1924年製も見つかっている。
唯それは、かけらとして落ちていたものによる。
製造メーカーのロゴについては、昔の日本ガイシさんのものだった。
(三角形の中に、昔の送電のメインであった特別高圧ピンがいしのロゴがあるもの)
4年の開きがあるのは、当初はこちらも猪苗代旧幹線と同様に、アメリカのがいしを使用していたことが考えられるかと思われる。
猪苗代旧幹線は大きな送電線路であるから、文献を見開くと所々で情報があるが、榑坪線はそれよりも4万ボルトほど低い小さな送電線であるから、情報がほとんどなく、定かではないが・・・なんだかそんな感じに思えるなぁ
とりあえず、榑坪線の送電塔の形の種類については!2種類程あるようだ!!
(後から嵩上げされるなどして改造されている箇所については、この種類に含まない。)
この怒ったような表情もぜひ!東京電力パワーグリッドの山梨総支社の方! 鉄塔カードに認定してくださいな。w |
↑1つはこちらの怒った感じに見えるもので、もう1つは、正しくその大正時代の当時物と思えるものだ。
後者については、これまた猪苗代旧幹線の同じCARNEGIE製造の鋼材を使用していたので驚いた。
これはきっと初発見だな。w
とりあえずこの撮影は、2週に渡って行った感じであった。
1週目はとりあえず、その怒った感じに見える箇所の撮影が中心となった。
中相の腕金を支えている塔内の左寄りには、鳥の巣あり。 ずっと前に作られたものがそのまま残っている感じか |
私にもこれは怒った感じに見える。
頑固おじさんみたいな感じ?w
多分、最上部の腕金が逆さみたいな形となっているから、そういう風に見えるんだと思う。w
山道に残っている、情報提供のあったポールレグなどの撮影となった!
これはボルト形状が半円形だから、屋内の変電設備などで使われる系の耐塩高圧ピンがいしであろう。
しかしこの形状の耐塩高圧ピンがいしは、東電管内では普及していない。
お隣の中電では見たかなぁ
製造メーカーは、会津碍子製造
本線は真新しいが、写真右側!道路でないところに施設された配電線は、昔からある当時物のようで、設備が突然古くなる! |
高圧絶縁電線は、昔よく普及していた細い銅線で、両引き留めと言う構成が木柱の強度によるのか中々ない。
特に架空地線付きに関しては、最近では皆無に等しい。
しかしここでは!
途中から架空地線が残った状態のものでそれが確認できた。
ちなみに木柱の発見については、神奈川の方が圧倒的に多いが、今回の発見は千葉となっている。
ここは偶然にも、道路出ない箇所に配電線が通っているから、その影響で、昔から特に設備が、いじられることなく、偶然にも設備更新されず、当時物で!木柱が3本連続で残っていたように思えた!!
これぞ正しく、昭和40年代物かと!
さっきの両引きの木柱では、高圧耐張がいしのストラップは一度取り換えた形跡が見られたが、こちらは直線ストラップだから当時物だ。
架空地線が残った木柱も、発見が極めて難しい。
神奈川の鎌倉の方では、元からそれはなかった箇所もあったようだからなぁ。なおさらだ。w
しかしよく2019年の台風に耐え抜いたもんだ。
ここは、周囲が雑木林に囲まれているから、そこまでの強風は吹かないか・・・