2022年5月28日

2907.動力変圧器と電灯用変圧器の両方を取り付け

 



三相3線式の低圧動力線200Vの取り出し可とした動力用変圧器と、単相3線式の低圧電灯線100V/200Vの取り出しを可とした電灯用変圧器の両方を取り付けたもの!



昔はこういう場合は、変圧器の台数は3台になる例が基本だったが、今は動力用変圧器は、縦長1台で済むので、合計としては、変圧器は2台で済むようになっている。

しかし見かける数はそれほどない。

2906.変台のある箇所はトンボ腕金だが、上部は単一の1本腕金で変圧器への高圧引き下げ線を引き下げ!

 



これまたレア構成!





下段はご丁寧な構造だが、上部はトンボ腕金にはせず、1本の単一腕金で変圧器への高圧引き下げ線を引き下げていた。




反対側~







おまけ投稿:榑坪線 その1

2022年5月28日



この日は、東海道新幹線、そしてJR身延線などを乗り継いで!榑坪線の撮影へ向かった!!

まずは静岡駅まで出て、そこから特急ふじかわに乗る。





榑坪線の第一撮影ポイントの最寄り駅は内船駅

(第二撮影ポイントは下部温泉駅からの徒歩で、翌週撮影へ行くことになる。w思い返せば、下部温泉もまた昭和2年(1927年)竣工の田代幹線の撮影へ行ったよね~2021年の5月末ぐらいだった。そん時は身内と行ったので、車で行けた。wさすがにあそこは車でないと無理w)


JR身延線は、便は限りなく少なく、駅からも結構遠くまで歩くことになるが、私はスタミナには大いに自信があるため、問題なし。w

(むしろ車の運転の方が苦手。しかしこれでも、送電線の現場仕事をしていた時は、普通に毎日乗っていたから自信はあった。以降は他業種に入社し、それからは全く車を使う仕事でなくなったため、自信がなくなっただけである。今は苦手な車は運転したくないから、長距離歩いて努力するよ。w)


 






ここでは~

パノラマ撮影~w


↑配電線の方は、昔の送電線は背が低いから、大分低い位置を通る羽目になる。

さて!

ここでは何の撮影がメインだったのかというと!?

マニアックな榑坪線だ。

この送電線の年式は、大正9年(1920年)1月のようだ。

なお、がいしについては、驚きの1924年製も見つかっている。

唯それは、かけらとして落ちていたものによる。

製造メーカーのロゴについては、昔の日本ガイシさんのものだった。

(三角形の中に、昔の送電のメインであった特別高圧ピンがいしのロゴがあるもの)

4年の開きがあるのは、当初はこちらも猪苗代旧幹線と同様に、アメリカのがいしを使用していたことが考えられるかと思われる。

猪苗代旧幹線は大きな送電線路であるから、文献を見開くと所々で情報があるが、榑坪線はそれよりも4万ボルトほど低い小さな送電線であるから、情報がほとんどなく、定かではないが・・・なんだかそんな感じに思えるなぁ

とりあえず、榑坪線の送電塔の形の種類については!2種類程あるようだ!!

(後から嵩上げされるなどして改造されている箇所については、この種類に含まない。)

この怒ったような表情もぜひ!東京電力パワーグリッドの山梨総支社の方!
鉄塔カードに認定してくださいな。w

↑1つはこちらの怒った感じに見えるもので、もう1つは、正しくその大正時代の当時物と思えるものだ。

後者については、これまた猪苗代旧幹線の同じCARNEGIE製造の鋼材を使用していたので驚いた。

これはきっと初発見だな。w

とりあえずこの撮影は、2週に渡って行った感じであった。

1週目はとりあえず、その怒った感じに見える箇所の撮影が中心となった。


中相の腕金を支えている塔内の左寄りには、鳥の巣あり。
ずっと前に作られたものがそのまま残っている感じか

私にもこれは怒った感じに見える。

頑固おじさんみたいな感じ?w

多分、最上部の腕金が逆さみたいな形となっているから、そういう風に見えるんだと思う。w



年式を示すプレート↑





今回の撮影は、歴史的送電線路!榑坪線を含めて!






山道に残っている、情報提供のあったポールレグなどの撮影となった!

2022年5月15日

がいしコレクション:変電設備用の耐塩高圧ピンがいし・2重ヒダ仕様!

 


これはボルト形状が半円形だから、屋内の変電設備などで使われる系の耐塩高圧ピンがいしであろう。

しかしこの形状の耐塩高圧ピンがいしは、東電管内では普及していない。

お隣の中電では見たかなぁ




製造メーカーは、会津碍子製造


2022年5月8日

おまけ投稿:姉ヶ崎線

 


姉ヶ崎線には、1,2号線と3,4号線がある。


年式は昭和42年1月の模様

1967年か