本題へ入る前に、「F型電柱、Fアーム」などでネット検索をかけると、画像検索欄では、このページが1番上に出てくるので、まずはFアーム(F型アーム)についての詳細を述べよう!
<この記事の更新履歴>
2009年1月8日:撮影したレアな初代のFアーム電柱の写真を掲載
(写真に撮影時期の記名のない、この記事でメインの写真が対象)
2009年9月:撮影したレアな初代のFアーム電柱の全てが現存していないことを確認
(↑この電柱は、現在の上野イーストタワーがある裏手にあった。)
2020年8月:Fアーム電柱の検索結果で、この記事が一番最初に出ており、目立っているため、改めて文章を再編集した。これまで登場したFアームの種類について、昭和47年頃に登場した初期型から全種類をまとめ上げた。
まず、Fアームについてだが、形がFになっていることからFアームという。
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これがFアームのイメージであろう |
Fアームで一番思い浮かべるのは、恐らく上記写真のようなものであろう。
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↑ちなみに、写真にFを付け加えるとこのような感じである。
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しかしこれは2代目に相当するものである。
Fアームについては、世代別に振り分けると、全体的な形としては!これまでに全部で3世代あるが、細かな種類としては、これまでに7種類程度、確認している。
まずは1世代!初代のFアームの紹介からだ!
これは特に、高いビルの多い東京のオフィス街で普及していた。
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吉祥寺で撮影した1世代に相当するFアーム 初代のFアーム
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そう、実はといえば、Fアームには初期型もあり、1本、1本ある複数本の腕金を構成して完成させた幅が広い初代のFアームがあったのだった。
これについてはどうやら、昭和42年(1967年)頃には既に登場していたようであり、東京都内ではもちろんのこと、他では千葉県、栃木県、それから山梨県などでも見かけている。
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千葉で撮影の初代のFアーム 千葉では、他では確認できなかった2回線仕様の初代のFアームが見つかった。 |
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こちらは山梨で撮影の初代のFアーム
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なお、
神奈川県では、
幅の広い初代のFアームについては確認できておらず、どうやら神奈川は神奈川で、また別の種類となった
幅の狭い簡易型といえよう、初代のFアームが普及していたようである。
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幅が狭くなった簡易型の神奈川式の初代のFアーム こちらは東京などで確認できた幅の広い初代のFアームと比較すると 少し腕金の本数が少なくなっていることから、簡易型と言える。 |
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同じく神奈川式の初代のFアームとなっているが こちらは珍しく、その腕金が2本ずつある。 |
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こちらは、東京都大田区、品川区の細い路地で確認できた初代のFアーム 東京都内にも一応幅の狭い神奈川式なる初代のFアームがあったようだが 大田区と品川区以外では見かけていない。 |
なお、東京都品川区と大田区では、神奈川と似たような幅の狭い簡易型の初代のFアームも確認している。
さて、2世代のFアームがこれだ。
種類については、高圧のみ支持可能となったものと、高圧と低圧の両方の支持が可能となった2種類がある。
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高圧と低圧の両方が支持可能となった2代目のFアーム
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冒頭でも申し上げたが、電柱から見て、腕金の形がFになっていることからFアームという。
なお、2代目のFアームについては、既に早い段階の昭和55年(1980年)には登場していたようである。
ところで、2代目のFアームの新設を最後に確認したのは、2008年(平成20年)だった。
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Fアームは、中にはこうして
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Fアームの文字が確認できるものもある。 |
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こちらは、2回線の高圧配電線を支持している 高圧と低圧の両方が支持可能となった2代目のFアーム
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2代目のFアームには、高圧のみ支持可能のFアームも! |
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こちらは、高圧のみ支持可能の2代目のFアームであるが 高圧配電線2回線仕様でのものとなっている。
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そして、3代目に登場したのが離隔腕金である。
これは、形はFとは言えないのだが、2代目のFアームを引き継ぐような形で、2003年頃に登場したので、そう記した。
なお、離隔腕金の種類については、
離隔腕金専用のDアームに離隔腕金専用の腕金を取り付けた初期型と!最初から、全ての腕金が合成された2代目の
2種類がある。
現在は特に、後者のものが普及している!
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背後で1回線の高圧配電線の分岐をする初期型の離隔腕金 |
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ところで、離隔腕金についても、Fアームと同様に! 離隔腕金専用のDアームの部分に「リカク」と書かれたものもある。
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名称については、腕金に「リカク」と書かれた文字が確認できたことから、離隔腕金で間違いないかと思う。
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↑同じく初期型の離隔腕金であるが、強度を懸念したためか 中には、離隔腕金専用のDアーム部分に、アームタイを備え付けたようなものもある。
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↑こちらは2代目の離隔腕金! ご覧の通り、Dアームと水平の腕金が最初から合体している。
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Fアームの種類を述べるだけで、大分記述が増えてしまったが、ここでようやく本題だ!
さて、今回は、そんな中!
東京都台東区の東上野地区にて、大多数!偶然更新されずに残り続けた初代のFアームを紹介しようかと思う!
種類としては、今回紹介するのは、主に東京都内で普及していた、幅の広い初代のFアームである。
※なお、これから紹介する初代のFアーム群は、全て現存していないので、そこは注意願いたい。
↑この初代のFアーム電柱群については、丁度、現在の上野イーストタワーが建つ裏手にあった。
いつまでも更新されずに初代のFアームが長らく残っていたのは、Fアームの裏手には、かつてはいくつもの?ビルがあって、それが取り壊されて、その後は長らく、更地のコインパーキングとなっていたため(目の前の電柱は、ビルの取り壊し後にいじられなかったので)残り続けたのかと思われた。
しかしとうとう、2009年9月、ようやく現代の離隔腕金に更新されているのを確認した。
ちなみにだが、更新前の様子については、2008年版のストリートビューに切り替えなければ、見ることはできない。
しかしストリートビューは、日本国内のものについては、2008年に撮られたものについては、公開を中止しているようなので、見ようにももう見ることができなくなっている。
(何故、アメリカでは、2008年のストリートビューがまだ見えるのに、国内では2008年撮影バージョンのストリートビューの公開を中止しているのだ!?見えるのは2009年からである。)
そして、上野イーストタワーが建つ頃には、その裏手の電柱については、全て柱ごとどかされ、移設が行われた。
今は無電柱化はされておらず、電柱の本数をかなり減らした状態で新種が突っ立っている。
↑さて、先ほど冒頭でも1枚写真を出したが、一番最初に見えてきたのは、これだった。
電柱からここまで配電線類を引き離すのには、理由があったはずだ。
恐らくだが、この電柱の背後に、かつて、なんらか大きなビルがあったのかと思われる。
そのビルは大分前に取り壊されたように思えるが、その周辺にあった初代のFアームについては、なんら更新されずにずっと残っていたようである。
錆はやや強めだった。
なお、最上部で3本の高圧配電線の両引き留めをしている高圧耐張がいしについては、左側は更新済みのようで、赤帯がなかった。
今見た1本目の初代Fを反対側からも撮るとこんな感じだ!
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写真撮影については、当時は下手で、うまく撮れていない。 見苦しい写真で申し訳ない。 多分、撮影当時は、通行人を気にしていたから、変な撮り方になったのかと思われる。w しかしなんとか、Jtrimというソフトで、写真の傾きを調整することができた。 |
↑続いてこちらは2本目だ!
さて、ここからは、初代のFアームでは中々見ることができない、開閉器装柱による初代のFアームを!同時に2本発見となった!!
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幅の広いこの手の初代のFアームは、東京の特徴!
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左手前のものについては、高圧配電線の途中に施設される普通の区分開閉器による開閉器装柱のように思えるが、右側にもある3本目のこちらは↓
背後にビルがあった時代の引き込み用だったのだろうか、使われていない区分開閉器が残っているのが確認された。
大分放置されているようで、その開閉器の形については、今まで見たことがない種類だった。
ちなみに、3本目を超えて振り向くと、こんな感じである!
さて、ここからは折り返し、今撮った反対側写真を続けて撮っていく。w
↑手前の負荷側(配電線の終点方面より)見て、3本目については、ケーブルヘッド類については、大分前に取り外したようだが使われていない区分開閉器が初代のFアームに残っていた。
さて、拡大して撮ったのがこれだが、これは今までに見たことがない型の開閉器だ。
底面には何やら、網目のようなものが確認できる。
なお、開閉器のスイッチは、もちろん切られている。
開閉器のハンドルは、白い方が下がっている。
続いて2本目!
ここには大容量の100kVAの柱上変圧器が2台乗っていた。。
そしてこれは、1本目の初代のFアームの前にあった、普通のもの
ここで古いのは、写真黄色で囲った低圧用腕金ぐらいである。
この低圧用腕金は、初代のFアームを真似て、手作り仕様(複数本の腕金を継ぎ合わせて作られてた低圧用腕金)となっていた。
さて、初代のFアームについてだが、先ほどの3本だけでは終わらなかった!
3本の初代のFアームを超えた電源側にも、後数本残っていた!
↑その先で見えてきた最初の1本がこれだ!
こちらは、メインである高圧配電線の支持は、後からDアームに移線したようなので、現状、初代のFアームについては使われていないが、しっかりとDアームの下段に残っていた。
しかし、それは見ると、今は支線のみを支持しているだけのようだった。
まぁこれは、今見ると、大げさに見える設備である。
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最上部で3本の高圧配電線を引き留めている耐張がいしについては 中実耐張がいしへ取り換えられている。 こちらの特徴は、まだしっかりと低圧配電線が初代のFアームで支持されていることだ。 最近では、古い初代のFアームで低圧の支持をすることに自信がないのか 初代のFアームの下段に真新しい低圧用腕金を増設したような箇所も見かけている。
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続いてこちらは、2本目である!
そう、奥の方にも何本もの初代のFアームが続いていたのだった。
見つけた時は思わず驚いてしまった!
ここまでの数の初代のFアームが現存するエリアは、そうない!
ここでは、変圧器が取り付けられており、変圧器への引き下げ線を引き下げているのが見えた。
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これぞ変わった格好!w |
続いてこちらは4本目!
おっ!ここではなんと!自動化された開閉器が取り付けられたものが確認された。
どうやらここは、高圧の配電幹線の立ち上がり柱のようだ。
この辺だと、地中化されている国道4号(日光街道沿い)から高圧幹線を引っ張っている感じか?
↑と思っていたが、別の配電線と非常時に連系が取れるよう、連系用開閉器が施設されているだけのようだった。
なお、この道の初代Fはこれで終わっていた。
それにしても、ここだけでも、4本もの初代Fを確認したから、非常に驚いた!
今時、ここまでの数が一気に残っているエリアは、そうない!
それもまだ、初代のFアームの発見は終わったわけではない!w
そう、付近には後2本、初代のFアームが!まだ残っていたのだった!!
↑それがこれだ。
この道沿いでは、合計2本発見!
なお、この電柱は、現在でいう上野イーストタワーの北側に位置していたが、今は腕金は更新されているので、初代のFアームは確認できない!
構成についてだが、ここで発見できた1本目については、Dアームと一緒に、初代のFアームが取り付けられていた。
Dアームについては、先ほどのものでも確認できたが、どうやらこの写真の手前側にある交差点で、縦型配列にて、別の高圧配電線と交差させているので、後で増設して取り付けたのかと思われた。
それから、初代のFアームで引き留めとなると、強度不足で腕金が動いてしまうためか、裏面には、何本もの支線が張られているのが見えた。
続いてこちらは2本目だ!
ここでは50kVAの単相3線式の低圧配電線のための電灯用変圧器を1台乗せていた。
なお、この道沿いの初代のFアームについては、これで終わっていた。
次は普通の引き留めとなっていた。
最後に、この地区で、いずれとも初代のFアームが更新されずに残ったのは
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これはおまけ
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↑こうならなかったからだ。
それは何かといえば、高圧をもCVTケーブルにしてしまう都市型配電のことである。
しかし最近では、そのケーブルも寿命を迎えているためか、普通の配電に戻した箇所もそれなりに見かけている。
なお、こうした都市型配電については、昭和55年(1980年)には、既に登場したようである。