2020年10月31日

1859.2:1で耐張

2020年10月31日、大快晴となったこの日は宇都宮駅付近の撮影へ向かった。


宇都宮では、これがお目当てなのでした~↑
こちらは旧式の分類に入るから、今後HPにて掲載予定でいる。

なんでもこちらには、栃木式の初代のFアームがあるからである。

その撮影がメインとなったが、道中他にも変わったものや珍しいものを撮影したので、掲載していこう。




ここでは、高圧耐張がいしを2:1に配置したレアもの発見!


高圧用腕金については、やや片寄せ固定されている感じだった。

以前は交差点を超えた箇所にも同種があったらしいが、更新されていた。




2020年10月25日

1858.腕金中央固定の引き通しでダブルハンガー

 

漫画によく出てきそうで、よくありそうなこの構成



実はというと、あまりこれと一致した構成は中々ないのである。w

1857.縦型配列で十字交差

 

縦型配列となった高圧配電線の縦型十字交差


これもまた中々見慣れぬ構成である。

1856.中部電力と東京電力の電線路が向かい合う光景

 ここは長野県大町市

電源供給エリアとしてはここは中部電力管内となるが、付近には東京電力の発電所がいくつか点在しており、その間を結ぶ電線路がある。

電線路名は大町新堰線といい、大町新堰発電所の制御用の電源で使っている東電自前の送電線路のようだ。

なお、今回は体力的な問題で起点までは巡れていないが、中部電力の配電線とその電線路とが向かい合うレアな光景も撮れたので、それを紹介しようかと思う。

負荷側から見ていく。
終点付近は中実耐張がいしによる振り分け引き留めが並んでいた。


それより前の支持物では、クランプがいしの引き通しが並ぶ。




そうとなると、これは一見、クランプがいしを使用していることから(東京電力の)配電線に見えがちだが、実際はそうではない。

電線路の途中には変圧器など負荷のかかるものが一切設置されていない、よって、これは送電線である。

また、プレートも

送電塔で見受けられる活線昇塔禁止の表示も
ここは塔ではなく電柱となるが、塔の表記とある。

これは通常は東京電力の送電線で見かけるものだ。

(送電線というのは、発電所から変電所間、もしくは発電所を経ないで変電所から変電所間を結ぶものを示す。電圧が低い送電線も実在する。)

なお、年式は平成23年(2011年)12月とあり、割と最近の設備であることがわかった。
といってももう10年ぐらい前か・・・
こちらは大町新堰線 68号柱

ここでは送電線で見受けられるタブレットも

その奥のクランプがいし引き通しは、67号、66号と続く。
なお、ここでは支持物に鋼管柱を使っている。

さて
さらにその奥では、中部電力の配電線と東京電力の配電線に見せかけた送電線が向き合う珍しい光景も続く。

こうして見ると

右側は明らか配電線に見えがちだが、送電線である。

普通の配電線なら、活線昇塔禁止の表示はなかろう。




左側に中部電力の10号中実がいし引き通しによる配電柱
右側に東京電力のクランプがいし引き通しの送電柱



プレートはこうだ!

こちらが中部電力側で、ここでは珍しく、年式の印字も確認された。



続いてこちらが、東電側の送電柱
普段は送電線で見慣れているプレートがここには電柱にある。




珍しい光景である。

おまけ投稿:高瀬川第一水路線を追跡

この記事は本当はホームページの方で紹介しようかと思っていたが、最近そのサーバーの容量が少なくなっており、大きな写真を掲載できないでいるので、こっちの方にも掲載することにした。


長野県大町市にある高瀬川第一発電所付近には、高瀬川第一水路線(高一水路線)という施設用の構内用配電線路がある。(いずれとも東電管理)

その構内用配電線路には、つい最近まで、かつての配電電圧3300V時代に使われていた旧型の高圧ピンがいしを使った木製電柱も、珍しく実在していたのだが、今回撮影に行ったところ、どうやら道路の橋の架け替えに伴いなくなったようだった。


また、ここは電源供給エリアとしては、中部電力管内となるためか、同構内用電線路については、中電寄りの装備品が使われているみたいだった。


それではこれは、おまけ投稿として投稿してみよう。



高瀬川第一発電所へ向かう途中にも東京電力の大町線(旧:高瀬川送電線)という歴史的送電塔も見られる。

今回向かう電線路は、それに絡んでいるものだ。

(しかしここも仮設が組まれていることから、建て替え?の危機あり。送電塔自体はまだ綺麗に見えるんだがなぁ)


なお、この送電線路については、大正13年に竣工したようだ。

この道をずっと歩いて行くと・・・


高瀬川第一水路線に到着!


この電線路は負荷側から追跡していくと、三相200Vの低圧動力線の引き留めがまず見えてくる。

恐らくポンプか何かで使っているのだろう。

この電線路は、下記のプレートでも確認できる通り東電所有の設備のようだが、引き留め部には中部電力で使われているグレーのカバーが確認できる。

なお、ここは低圧だが高圧用のカバーを使っているようだった。

振り分け番号については、22号柱から始まっているようだった。

(これを見ると当初は別の場所に電源側があったのかもしれない。)

続いてこちらが23号

低圧ピンがいしが使われていることから、これは低圧線(三相200Vの動力線)であることがわかる。


26号にて、三相200V用の2台の動力用変圧器を取り付けたものを確認

上部はなんだか中電寄りの作りとなっているが


プレートを見ると、同じくこちらも東電所有のものであることがわかる。


続いて歩いて行くと

10号中実がいしの引き通しなども確認できる。

こちらは約30年ぐらい前に更新された影響なのか、東電らしいクランプがいしの引き通しは確認できない。

(付近にはさらに、東京電力の構内用高圧配電線路があるのだが、そこは比較的最近新設されたようで、クランプがいしの引き通しが確認できる。まぁ、それは後の記事で紹介しよう。)

それから高圧用腕金のサイズも中電寄りのものである。


ところで、この電線路はどこが電源側であるか?



奥の方にあるこちらの停留所の向かいが電源側だ。

中部電力の高圧配電線から東京電力の構内用高圧配電線へ引き込んでいる光景
なんとも不思議な光景である。

ここより、中電の配電線から高圧引き込み線を引き込んでいるのがわかる。


中電側の分岐側

東電の引き込み側

何時もの黒いカバーではなく、中電寄りのグレーのカバーを使用している。

下段についてもこれは東電で通常使われている類のカバーではない。

引き込んだ後からは東電の構内用配電線路となるため、プレートには高一水路線(高瀬川第一水路線の略)29号とある。

しかし普通、振り分け番号というのは、電源側から1号、2号と続くのであるから、設備更新される約30年程前は、別の場所が電源側だったのかもしれない。


周囲の安全を確かめしつつ、反対側はこうである!

一応引き込み側には測定器(変圧変流器)も備えつけられていた。

これは柱上で作業する上での表示板だろうか、初めて見かける。

それで今回撮影したかった、一番肝心な木製電柱については!

写真中央より移設後の30号と31号
31号は川の横断のため、H柱となっている。
元々は橋の架け替え工事を行っている写真奥の道の左側に
旧型と高圧ピンがいしを使った木製電柱などが続いていた。

30号、31号辺りにあったようなのだが、どうやら最近、その電線路のあった道路沿いにて、橋の架け替え工事が始まったらしく、かつてあったその木製電柱も、道路工事に伴い移線&移設、古い方は完璧に除却されていたのだった。T_T

内訳については、木製電柱1本とコン柱1本と鉄柱1本がなくなったらしい。

そのうちの木製電柱とコン柱については、高圧配電線の引き通しに旧型の大きな傘つぼみ形状をした3300V仕様の高圧ピンがいしを使ったものとなっていた。推定年式、昭和35年前後


しかしまだ奥の方では、川の横断箇所で役目を果たしていた鉄柱2本のうち1本は、辛うじて現存していたのだった。

(鉄柱も関西電力以外では中々目にすることがないからなぁ)

今からそれを見ていこう!



ということで、予備の橋を渡って反対側へやってきた。

こちらは先ほどの橋を渡る前で見かけたH柱なる31号柱である。

続いてこちらが33号、レアな鉄柱である!

(今回の設備更新で2本程なくなったので、こちらは33号となっている。)

ここでは川の横断箇所で活躍していたようだが、やはり配電鉄柱というのは古いのだろう。

なお、ジャンパー線支持については、かつての3300V時代の旧型ではなく、現代仕様の普通の高圧ピンがいしとなっていた。


33号のプレート
見るからに大分年季が入ってそうだ。
文字を見ると、やはり推定年式としては、昭和35年前後になるんじゃないかと思われた。

中部電力の配電線とのツーショット写真はこんな感じである。w
鉄柱の方は川の横断箇所のため、腕金が幅広くなっていた。

(ダブって見える後ろの送電塔は、高瀬川第一線の送電線である。)


高瀬川第一水路線については、その先左方向で1本、2本と続き

終点となっていた。


以前はこちらの高瀬川第一発電所の取水口の構内にある右側の1本も、高圧配電線の引き通しに3300Vの旧型の高圧ピンがいしを使用した木製電柱だったらしいが、こちらも更新されていた。


そしてこちらがその終点のものである。

こちらも比較的設備が古いようで、工場などの構内線で見かけるキューブ型の変圧器が2つ乗っかっていた。



おまけ



折角だったんで、大町エネルギー博物館にも行ってみた。



こちらには、戦前の古い配電用の柱上変圧器と大きながいしの展示がある!


今回の撮影では、それも合わせて見たかったのだった。w

他には、黒部ダムや旧高瀬川第三発電所の写真展示コーナーなどもあり、昔の電柱も見ることができたのだった。



古い黒塗りの柱上変圧器は、コイルが出されていた。


それも古い変圧器では定番のタップ付きだ。

昔は高圧配電線路に多少の電圧降下が生じても、このタップによって電圧の調整ができたのだ。

例)柱上変圧器の一次引き出し線が通常の3300V以下(昔)の3150Vや3000Vなどでも変圧器のタップを使えば、2次側ではいつも通りに100V(105V)の取り出しが可能だった。

しかし農村地域など、大幅な電圧降下が生じる地域は例外である。

その場合はとてもタップでは電圧の切り替えができなかったらしい。

続いて懸垂がいしの展示は外にあった。

これは恐らく50万ボルト(500kV)の架空送電線路で使われるものをイメージされた感じだろうか


展示されているがいしは、日本ガイシさんの製造品だった。

製造年は1982年とある。


がいしについては特にご丁寧な説明はなかった。w



色違いだが、茶色なら我が家にも前に買ったものがあるぜい!

(マツコの知らない世界でお伝えいたしました通り、私は日本ガイシさんからがいしを買うことができます。^^)





重すぎて10秒以上持っていられません。w

下手したら落とします。

壊したら大変

いやはや、現場の人はこれを担ぐんだから凄い。

ヘリでの運搬もできるだろうが、特に山の送電線といったら大変だ。



なお、私物のものは比較的最近の製造品であるから、表記は変わっていた。


2015年製造で330kNとある。

1kNが約100㎏であるから、大体同じだ。w

ちゃんと換算すると33639.1437 kgになるらしい。

今回大町エネルギー博物館で見た展示物は33000kgに対して、私物は330kNである。