子局については、今やどんどん進化を遂げ、箱型や直方体仕様が登場しているが、今もなお郊外の山中では、時にには古い子局を見ることもある。
これなんかも多少古そうである。
名称を示す銘板には、時限式事故探査機(DC形)とある。
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子局については、今やどんどん進化を遂げ、箱型や直方体仕様が登場しているが、今もなお郊外の山中では、時にには古い子局を見ることもある。
これなんかも多少古そうである。
名称を示す銘板には、時限式事故探査機(DC形)とある。
谷村線の廃矩形鉄塔は、山以外でプレートが今もなお見ることができる場所は、1か所だけある。
それが252号鉄塔であった。
見えにくいが、大正2年(1913年)6月と書かれているように思える。
廃止後もずっと残り続けた送電塔自体は、もう110年近くは経過しており、コンクリートの基礎部分も大きく砂利が見えるなど、破損しているところも見られた。
なお、プレートの固定については、ステップボルトと同時付けとしたようである。
内部のアームの組み方については、火の見櫓の鉄塔と同じような構成である。
あの頃らしい洋風っぽさが感じとれたのであった。
谷村線は、かつて実在していた桂川電力が建設したものだった。
かつて実在の東京電燈の所有となった頃には、一時期、東京電燈桂川線と名付けられた頃もあったそうだ。
昭和初期の東京電燈の50年史には谷村線とある。
(参考文献:電気工作物 震災豫防調査会(震災予防調査会) 調査書 大正13年12月30日発行、東京電燈株式會社開業50年史 昭和11年8月23日発行)
下段は特に高圧配電線はかかっていないが、Fアーム専用の高圧用腕金は付いており、その左側のFアーム部分の枠内には開閉器あり。
その開閉器は、CVTケーブルとなった遠方用電源のためのものみたいだ。
当初はそのまま何もかかっていない高圧用腕金で、CVTケーブルでない高圧配電線を支持する予定だったのかもしれない。