この先は、川幅の広いロングスパンのなっているため
柱は1本多めの2本建てのH柱としていた。
なお、高圧耐張がいしについては、特に変わりはない模様。
普通の中実耐張がいしを使用していた。
限流ホーンもついていた。
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この先は、川幅の広いロングスパンのなっているため
柱は1本多めの2本建てのH柱としていた。
なお、高圧耐張がいしについては、特に変わりはない模様。
普通の中実耐張がいしを使用していた。
限流ホーンもついていた。
1回線の高圧配電線から1回線を分岐する場合は、柱から直接1回線を分岐する例が多いが、こちらは違った。
ここは珍しく、こちらの開閉器装柱で、1度、高圧配電線を2回線にしたのち
その先で1回線ずつを左右へ振り分けていた・・・
いや、逆かもしれんぞ。
さっきの1回線にひとまとめしている開閉器装柱の開閉器は、実は連絡用で、合流しているようなことも考えられる。
ここでは見慣れないプレートを発見
確認 厚田線 5号との表記があるものだった。
どうやらこの配電線路は、途中から厚田発電所で使う保守用の電源用となるようで、同発電所へ向けて続いているのが見えた。
奥にある建屋が厚田発電所。
なお、同発電所のついては、既に昭和4年の送電線路図では確認できることから、かなり古いのが伺えた。
他には、かつての東京電燈が発行の送電線路図もあるのだが、そこではあの明治37年(1904年)建設の室田線(但し、支持物は複数回更新した模様。明治物は1つもない。)に接続されているのも見えたが、果たして・・・
最後に看板
川戸線の旧鉄塔については・・・
ひとまずこちらが19号鉄塔だった。
年式については、16号鉄塔で確認できた。
大正14年(1925年)2月のようで、こちらも歴史的送電線だった。
なお、完全なる原型については、ねん架鉄塔化したような箇所で発見
こちらについては、どの腕金も改造されていない完全なる原型に思えた!