2020年12月29日

1932.中央の高圧耐張がいし、下がる。

 

一見はごく普通の高圧耐張がいしを使った両引き留め装柱に見えがちであるが


よくよく見てみたら、中央の高圧耐張がいしが、少し下がった位置で固定されているのが見えた。

先で大きく大きく配電線が上がってきているから、そのための強度を付けるため、ここでは互いに、別々の位置で取り付けるようにした感じに見られた。

中央の高圧耐張がいしの固定は、同じバンドで固定するのが基本であるが、ここは少し特殊だ。
同じバンドで固定してしまうと、バンドが曲がってしまうなど、強度不足となるためか
ここでは勾配のない方の高圧耐張がいしを
別の位置(少し下がった位置)に取り付けたように見られた。





上がるように1回線の高圧を分岐している分岐元はこんな感じ。

1931.Dアームを使ったあまり見かけぬ分岐

この日は上野原~






付近にて、Dアームを使ったものとしては、あまり見かけぬ分岐を発見!


ここではDアームに水平腕金を取り付けての分岐となっている。


反対側はこんな感じ。

少し入り組んだ箇所に立っているので、特殊な分岐になっていたのかと考えられた。

2020年12月26日

1930.Dアームの上端で1回線分岐



 さて、お次は東海道本線の根府川駅付近での撮影となった。


この辺には、かつての国鉄時代に使用され、その後廃止された通信柱がいくつか残っている。

なお、その現場へは結構歩くことになる。また、道路から近距離で撮れそうなのは3本ぐらいで、他については私有地のようであるから近寄れそうにない感じだった。

(ほう、そんな凄いものが眠っているとは、驚き。)

折角来たのだから寄れるところは全て寄っておいた。


その前にまずは、近代の配電線で珍しいものを撮影


この辺で撮りたかったレアものはこれだ!

長いサイズのDアームが使わているのだが、ここでは珍しく、分岐の腕金がDアームの上端に取り付けられていた。



おまけ


根府川駅付近で撮りたかった、かつての国鉄時代の通信柱の撮影はこんな感じ。



今回の撮影は大分時間が押していたから、夕暮れ時の撮影となってしまった。

機会があれば、またちゃんとした昼間の撮影を行いたいところだ。


一番右側には日本ガイシさんの製造品があり、製造年は1927年を示している。
その左側は松風工業製だ。

腕木にびっしりと取り付けられている通信ねじ切り2重がいしカップは、古いもので製造年は1927年(昭和2年)を示していたものがあったから、もうじき軽く100年を超える。

唯、古いのは磁器がいしだけのように見られる。

支持物はさすがに木柱だと100年は持たないだろう。

それについては50年ぐらい前のものかと推定した。

それから1927年だと、関東大震災の復興時に再建されたものかと思われる。

中には海に引き込まれてしまったものもあったのだろうな。T_T





通信柱については、他にもいくつか残ったものがあるが、道路から近距離で撮れそうなものはあまりない。


それにしても、これまた通信ねじ切り2重がいしカップの数が物凄い!

今回の撮影は、これでおしまい。



















1929.Fアームで変圧器を横受け

 

Fアームで、変圧器を横受けにしたこの例も中々見かけない。




その前に、神奈川ではFアームの内部に変圧器を収める例が多いか・・・

1928.Fアームでトンボ腕金別付け

 


高圧と低圧の支持にFアームを使用した例で変圧器を設置する場合は、変圧器への引き下げ線支持のトンボ腕金はFアームの高圧用腕金などに直付けする例が多いが



ここはそれだと分岐の腕金と干渉してしまうため、トンボ腕金が珍しく別付けされていた。