2020年10月25日

おまけ投稿:高瀬川第一水路線を追跡

この記事は本当はホームページの方で紹介しようかと思っていたが、最近そのサーバーの容量が少なくなっており、大きな写真を掲載できないでいるので、こっちの方にも掲載することにした。


長野県大町市にある高瀬川第一発電所付近には、高瀬川第一水路線(高一水路線)という施設用の構内用配電線路がある。(いずれとも東電管理)

その構内用配電線路には、つい最近まで、かつての配電電圧3300V時代に使われていた旧型の高圧ピンがいしを使った木製電柱も、珍しく実在していたのだが、今回撮影に行ったところ、どうやら道路の橋の架け替えに伴いなくなったようだった。


また、ここは電源供給エリアとしては、中部電力管内となるためか、同構内用電線路については、中電寄りの装備品が使われているみたいだった。


それではこれは、おまけ投稿として投稿してみよう。



高瀬川第一発電所へ向かう途中にも東京電力の大町線(旧:高瀬川送電線)という歴史的送電塔も見られる。

今回向かう電線路は、それに絡んでいるものだ。

(しかしここも仮設が組まれていることから、建て替え?の危機あり。送電塔自体はまだ綺麗に見えるんだがなぁ)


なお、この送電線路については、大正13年に竣工したようだ。

この道をずっと歩いて行くと・・・


高瀬川第一水路線に到着!


この電線路は負荷側から追跡していくと、三相200Vの低圧動力線の引き留めがまず見えてくる。

恐らくポンプか何かで使っているのだろう。

この電線路は、下記のプレートでも確認できる通り東電所有の設備のようだが、引き留め部には中部電力で使われているグレーのカバーが確認できる。

なお、ここは低圧だが高圧用のカバーを使っているようだった。

振り分け番号については、22号柱から始まっているようだった。

(これを見ると当初は別の場所に電源側があったのかもしれない。)

続いてこちらが23号

低圧ピンがいしが使われていることから、これは低圧線(三相200Vの動力線)であることがわかる。


26号にて、三相200V用の2台の動力用変圧器を取り付けたものを確認

上部はなんだか中電寄りの作りとなっているが


プレートを見ると、同じくこちらも東電所有のものであることがわかる。


続いて歩いて行くと

10号中実がいしの引き通しなども確認できる。

こちらは約30年ぐらい前に更新された影響なのか、東電らしいクランプがいしの引き通しは確認できない。

(付近にはさらに、東京電力の構内用高圧配電線路があるのだが、そこは比較的最近新設されたようで、クランプがいしの引き通しが確認できる。まぁ、それは後の記事で紹介しよう。)

それから高圧用腕金のサイズも中電寄りのものである。


ところで、この電線路はどこが電源側であるか?



奥の方にあるこちらの停留所の向かいが電源側だ。

中部電力の高圧配電線から東京電力の構内用高圧配電線へ引き込んでいる光景
なんとも不思議な光景である。

ここより、中電の配電線から高圧引き込み線を引き込んでいるのがわかる。


中電側の分岐側

東電の引き込み側

何時もの黒いカバーではなく、中電寄りのグレーのカバーを使用している。

下段についてもこれは東電で通常使われている類のカバーではない。

引き込んだ後からは東電の構内用配電線路となるため、プレートには高一水路線(高瀬川第一水路線の略)29号とある。

しかし普通、振り分け番号というのは、電源側から1号、2号と続くのであるから、設備更新される約30年程前は、別の場所が電源側だったのかもしれない。


周囲の安全を確かめしつつ、反対側はこうである!

一応引き込み側には測定器(変圧変流器)も備えつけられていた。

これは柱上で作業する上での表示板だろうか、初めて見かける。

それで今回撮影したかった、一番肝心な木製電柱については!

写真中央より移設後の30号と31号
31号は川の横断のため、H柱となっている。
元々は橋の架け替え工事を行っている写真奥の道の左側に
旧型と高圧ピンがいしを使った木製電柱などが続いていた。

30号、31号辺りにあったようなのだが、どうやら最近、その電線路のあった道路沿いにて、橋の架け替え工事が始まったらしく、かつてあったその木製電柱も、道路工事に伴い移線&移設、古い方は完璧に除却されていたのだった。T_T

内訳については、木製電柱1本とコン柱1本と鉄柱1本がなくなったらしい。

そのうちの木製電柱とコン柱については、高圧配電線の引き通しに旧型の大きな傘つぼみ形状をした3300V仕様の高圧ピンがいしを使ったものとなっていた。推定年式、昭和35年前後


しかしまだ奥の方では、川の横断箇所で役目を果たしていた鉄柱2本のうち1本は、辛うじて現存していたのだった。

(鉄柱も関西電力以外では中々目にすることがないからなぁ)

今からそれを見ていこう!



ということで、予備の橋を渡って反対側へやってきた。

こちらは先ほどの橋を渡る前で見かけたH柱なる31号柱である。

続いてこちらが33号、レアな鉄柱である!

(今回の設備更新で2本程なくなったので、こちらは33号となっている。)

ここでは川の横断箇所で活躍していたようだが、やはり配電鉄柱というのは古いのだろう。

なお、ジャンパー線支持については、かつての3300V時代の旧型ではなく、現代仕様の普通の高圧ピンがいしとなっていた。


33号のプレート
見るからに大分年季が入ってそうだ。
文字を見ると、やはり推定年式としては、昭和35年前後になるんじゃないかと思われた。

中部電力の配電線とのツーショット写真はこんな感じである。w
鉄柱の方は川の横断箇所のため、腕金が幅広くなっていた。

(ダブって見える後ろの送電塔は、高瀬川第一線の送電線である。)


高瀬川第一水路線については、その先左方向で1本、2本と続き

終点となっていた。


以前はこちらの高瀬川第一発電所の取水口の構内にある右側の1本も、高圧配電線の引き通しに3300Vの旧型の高圧ピンがいしを使用した木製電柱だったらしいが、こちらも更新されていた。


そしてこちらがその終点のものである。

こちらも比較的設備が古いようで、工場などの構内線で見かけるキューブ型の変圧器が2つ乗っかっていた。



おまけ



折角だったんで、大町エネルギー博物館にも行ってみた。



こちらには、戦前の古い配電用の柱上変圧器と大きながいしの展示がある!


今回の撮影では、それも合わせて見たかったのだった。w

他には、黒部ダムや旧高瀬川第三発電所の写真展示コーナーなどもあり、昔の電柱も見ることができたのだった。



古い黒塗りの柱上変圧器は、コイルが出されていた。


それも古い変圧器では定番のタップ付きだ。

昔は高圧配電線路に多少の電圧降下が生じても、このタップによって電圧の調整ができたのだ。

例)柱上変圧器の一次引き出し線が通常の3300V以下(昔)の3150Vや3000Vなどでも変圧器のタップを使えば、2次側ではいつも通りに100V(105V)の取り出しが可能だった。

しかし農村地域など、大幅な電圧降下が生じる地域は例外である。

その場合はとてもタップでは電圧の切り替えができなかったらしい。

続いて懸垂がいしの展示は外にあった。

これは恐らく50万ボルト(500kV)の架空送電線路で使われるものをイメージされた感じだろうか


展示されているがいしは、日本ガイシさんの製造品だった。

製造年は1982年とある。


がいしについては特にご丁寧な説明はなかった。w



色違いだが、茶色なら我が家にも前に買ったものがあるぜい!

(マツコの知らない世界でお伝えいたしました通り、私は日本ガイシさんからがいしを買うことができます。^^)





重すぎて10秒以上持っていられません。w

下手したら落とします。

壊したら大変

いやはや、現場の人はこれを担ぐんだから凄い。

ヘリでの運搬もできるだろうが、特に山の送電線といったら大変だ。



なお、私物のものは比較的最近の製造品であるから、表記は変わっていた。


2015年製造で330kNとある。

1kNが約100㎏であるから、大体同じだ。w

ちゃんと換算すると33639.1437 kgになるらしい。

今回大町エネルギー博物館で見た展示物は33000kgに対して、私物は330kNである。

1855.ねん架電柱

この先にて!

中部電力版の


ねん架電柱発見!

カーブ箇所での発見となった。
ねん架を行っているため、ジャンパー線支持の10号中実がいしは色々な位置に設置されていた。

ねん架について:電線路というのは、必ずカーブ箇所やジャンパー線などで各電線の長さに違いがでることから、不平衡が生じる。その不平衡をなくすのに行われるのがねん架である。

送電線も同様、偶にねん架鉄塔があると思うが、それはこうした配電線にも実在するのである。