2018年2月17日

1260.普通と特大の中間サイズのD型腕金

普通と特大の間をさまよったような中途半端なこのサイズのD型腕金は、なかなか見かけない。w
埼玉の川口の方では、古いものとして見たことがある。




それも架空地線支持用の腕金をD型腕金に直付けしたものは特に見かけない。

ここではそんなタイプが2本連続で並んでいた。



奥の1本では、普通サイズのD型腕金(低圧で使用)との比較ができます。

1259.廃電柱

廃電柱のページは別にHPに設けてあるが、こちらは小規模であったため、こちらで掲載することにした。w

高圧需要家管理の構内用廃電柱にて!



建物がなくなった後も残り続ける、放置され過ぎの廃電柱を発見ww



錆はほとんどなくまだ使えそうなのに、今後は産廃行きでしょうか

なお、PASについては、2000年代初頭に一時期流行った小型のものが残ってました。


全体的に草木に埋もれてます。

1258.その分岐、無理していませんか?(歴史ある中東京幹線、水上線、吾妻川線などの旧鉄塔のおまけ付き!)

この日は小雪が舞う中、JR吾妻川線金島駅付近に残っている、歴史ある中東京幹線や水上線(元上越線)などを巡ってみた。

こちらはその道中にて・・・



これです。



無理してないですか?その分岐w
単相交流ごときの分岐に離隔腕金を使うとは、少し贅沢に見えます。w



反対側はこんな感じで!



このように、分岐先には特に高い建物はないのですが、分岐は離隔腕金を使ったようです。



人家の上に配電線の通過をさせない今の傾向が招いたことでしょうか

それにしても今の設備は本当に電源側、負荷側のことも考えていません。w
ここでは、完全負荷側である離隔腕金の方が電源側の腕金よりも上に来ちゃってます。



おまけ


ここからは、同日にメインとして巡った中東京幹線中線(建設当初の旧名:西東京幹線)や金井発電所・変電所付近の旧鉄塔などを掲載!



まずは


恐らく西東京幹線時代から残っていることであろう、中東京幹線中線の旧鉄塔写真を!



さすがは275kV設計となれば大きいですね!
家をも超す大きさ!w



と、西東京幹線時代のままの古い形があるのがここまでで、これより老番側の奥の方は



ご覧の通り、増強されてます。
増強区間は昔の旧鉄塔の面影は一切なく、背も各段と高くなっています!

撮影当初はここも曇っており心配であったが、なぜか奇跡的に突然晴れてくれました!ww

中東京幹線(中線)の187号付近です。



看板は完全に中東京幹線と書かれているのですが、こちらの建設年もの印字もあるプレートはずっと未更新なのか、中東京幹線中線と書かれています。
(もうこっから中線のエリアになるのかな)


こちらは同路線で178号



↑珍しく・・・周辺の動画もどうぞw
奥には群馬県庁が小さく見えます。

↑一方こちらは同路線で177号鉄塔!



しかし旧鉄塔は、肩幅ががっちりしていていい感じですね!w

そして、世代ごとに形がまとまってますね!
昭和20年代後半~昭和30年代の275kV設計といったら、中相の腕金が広々としたこの形!
(東電とは別の管轄ですが、只見幹線もそうですよね!)



パノラマもw(この際、ボール型のパノラマカメラも使っちゃう?w)
奥にある山の中腹では、伊香保温泉街も見渡せました。




そしてこちらは、むか~しからある金井発電所・変電所です。


付近には上毛幹線や金井線の鉄塔(←こちらは一部、歴史ある猪苗代旧線に似た旧鉄塔が実在している場所がある模様)などが見れます。

そして、この付近に残っていた群馬幹線(新鉄塔が見える写真左側の方)については、全て建て替えられており、全部なくなっていました。T_T
これには残念!
(近代的な新鉄塔オンリーでは、今後そこに歴史的旧鉄塔があったことがわからなくなるぞよww)




↑そして、元上越線である名前が変わっちまった水上線も!



↑いや~上越らしい感じで撮れましたよw



当初はこれが険しい山を降り、広々とした関東平野をJR高崎線に沿って通過して、今でいう亀戸線まで、途中、花畑変電所へも支線を分岐しながら繋がっていたわけですが、建設年は奥の方が古いようです。
(都内の亀戸線だと、中川を横断する辺りは確か大正13年建設だったはず。)



そしてこちらは


66kVながらも、形状がやはり古いつくり!!
となりのトトロにでも出てきそうな形状をしてます。
それはといえば、吾妻川です!

↑ちゃんとセーブオンで昼飯購入後に撮影w

建設年プレートは恐らくここでしか撮れない感じ?

↑明るすぎて見えないので調整w

↑建設年は大正か昭和のどっちだ?
(元号が見えなかった。)

2018年2月12日

1257.坂道の関係で?いつもより少し低い位置に鳥居型を取り付け!!(歴史ある安方線の矩形鉄塔の写真のおまけ付き!)

この日は、天候不順(途中から電柱撮影には適さない泣く泣くの曇り空T_T)で2月11日にうまく撮ることができなかった、町田のリベンジ撮影へ向かおうかと思ったのだが、うまく撮ることができなかったその場所へ、失敗したその日の翌日に向かうのはなんだか嫌気がさしたので、仕方なくこの日は、近くの大田区にて、安方線の歴史ある矩形鉄塔(この鉄塔の最寄り駅は京急の雑色駅)や、まだ撮れていなかった古い配電設備の再撮影などへ向かった。w



さて!
これは、坂道の関係だろうか?



昭和50年代に流行った、架空地線引き留めの古い鳥居型が配電柱の最上部に取り付けられているのだが、こちらはいつもより少し低い位置に鳥居型を取り付けているのが見て取れる。
なお、鳥居型については、支線との両引き留め箇所のようであり、どうやら、その支線側の方が少し坂を下がった位置に施設されているため!



こちらの鳥居型は少し低い位置に取り付けられる羽目になったのかと思われる。




一方、周辺ではこんなタイプも!

↑架空地線キャップが短いw

短い架空地線キャップだ!
そう、ここは大田区東雪谷地区

以前も自転車でここまで来たことがあり(もうずっと前w)、撮影もある程度行ってはいたのだが、今回はその時、うまく撮ることができなかった箇所を重点的にw再撮影しようと思い、また来てしまった。ww

自動開閉器装柱で短いキャップとか!w

ホント、この地域にはえらい数短い初期型架空地線キャップ残ってます!
しかし何故、この地域だけここだけの数が・・・
(↑未だにその謎は解明ならず。w)



おまけ




この日に撮影した安方線の歴史ある古い送電線です!
(↑JRからは見えないが、びゅんびゅん飛ばしまくる京急からは見えます。ww)
相武線から途中で分かれてここまで来ているようです。



矩形でV吊とは!
今の鉄塔にはない不思議な魅力を出してくれてます。w
これと少し似た奥戸線も今や建て替えが進んどるしなぁ~
ここはここでいつまで持つのだろうか・・・
しかし、奥戸線の方が建設時期はうんと若いと思うんだがなぁ
何故、このタイミングで奥戸線を建て替えたんだ?

安方線の建設年プレートが見えるのは24号ぐらい。
後は家に囲まれており、確認は無理

なお、建設についてはかなり古く!
大正15年(1926年)のようです!
(こりゃばあちゃんよりも年上じゃいw・大正から昭和に変わる頃のものかぁ)


ここまで古いので、勿論、東京電燈時代の古い社史にある当時の送電線マップにも載ってます!

1256.鳥居型で架空地線を絶縁!これは激レア!!!

東京電力管内の配電柱では、基本、地方の電力会社のように架空地線の絶縁までは行っていない。

ところが、東京都大田区神奈川県の川崎市、それから横浜市の一部地域だけでは、開閉器への雷害を懸念したのか、少なからず、架空地線を低圧引き留めがいしによって絶縁させている地域が実在する!
(↑正直個人的には、低圧引き留めがいしごときで雷に対する高電圧を防げるのかと疑問視するが・・・)

その例を挙げれば↓

東京都大田区の例

神奈川県横浜市港北区の例

なお、こうしてみると

地域別に支持の仕方も若干の変動があることがわかる。w

あったとしても、このように!架空地線キャップを用いたもので架空地線の絶縁を行ったものが大半である!



だが、今回はその中で、かなりの激レアを発見した!!

それがこれだ!!


その前に!既に分岐側も珍しい。ww本線側の架空地線の支持は鳥居型ならずとなっている。
ま、本線側の肝心な架空地線は既に取り払われているが・・・
なお、それとは垂直に(横に)なるようにして、分岐先の架空地線を支持しているものもある。

なんと!架空地線の引き留めが古い鳥居型だというのに!


↑ここでは!架空地線が!!青色の接地の意味を施した低圧引き留めがいしによって絶縁されているではないか!

これは初見!!!!


激レアです!


ちなみに、ここ以外では見たことがありません。



それも、架空地線の引き留めは古い鳥居型だというのに!運よく残っていた!



塩害にも耐え、よくぞ残った!!!


最後に・・・



人通りが多いので、拡大写真は撮れなかったがw
鳥居型ならずの横写真です。
ご覧の通り、分岐側の架空地線は鳥居型ならずから垂直になるようにして、腕金を取り付けて張っています。